すべてを聞きとどけてくださろうとします

あなたはわれらの心にかかることすべてを聞きとどけてくださろうとします。なぜならば、われらが助けを得ようとするのはあなたからであり、人間からでもなく、自分が考えたり、語ったりすることからでもないのです。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、170f頁

〔神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。〕(2テモテ1・7)

2018年7月30日(月)

神さまからの息吹によって人間は生きる者となったと聖書は語ります。人間には神さまの霊が分け与えられています。その霊は、力と愛と思慮分別の霊であると聖書は語ります。力と愛と思慮分別の霊に対比されているのが、臆病の霊です。

神さまのみ声を聞こうとするならば、聖書のことばを読めばいいのですが、神さまとの関係の中で読まないと、神さまのみ声を聞くことになりません。神さまが語りかけてくださるとの信仰をもって聞くことが大切です。

霊とは、何よりもこの神さまとの関係をいただいているということです。

私たちはこの関係をいただいて正しく神さまのみ声を聞き、またこの関係にあって神さまに祈り願います。そしてこの関係において、私たちは人生の助けを神さまからいただきます。

自分が考えたり、語ったりすることによってではなく、神さまからの助けによって生きるということは、神さまのほうが私たちの心を聞き届けようとしてくださることによって成り立っています。

私の願いを私が祈ることによって、神さまは私を助けてくださる、というのであれば、それはどこか助けの源泉が自分の祈る力にもあるようなこととなるでしょう。

聖書の神さまは、私の中に祈る力が全くない時でさえ、私たちの心を聞き届けてくださるのです。

これは祈らなくてもよいということが語られているのではありません。ただ神さまの全能と愛をほめたたえているのです。このような圧倒的な神さまの愛に出会うならば、ますます祈らざるを得ないのではないかと思います。あるいは祈りが喜びとなるのだと思います。

もし、祈らなくてもいいんだ、と開き直るならば、そこにはただ信仰がないということが露呈されているだけでしょう。