誠実なることをゆるされている

すべての人の目からわれらを守り、ひとに否まれる時にもあなたに仕えるべきであり、いかなる道にあっても、大いなる約束をのぞんで誠実なることをゆるされていることを、おぼえさせてください。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、56f頁

〔愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。〕(1ペトロ4・12,13)

2018年3月2日(金)

私たちの人生の苦しみ、試練は、キリストの苦しみにあずかることである、とペトロは語りました。

キリストの苦しみにあずかるのだから、驚き怪しむのではなく、喜びなさい、とすすめます。

そして苦しみや試練の中にあっても、喜びに生きるならば、キリストの栄光が現れる時にも喜びに満ち溢れることができる、と語りました。

これは、キリスト者は、苦しみの中にあっても、喜びに生きる自由をいただいているということだと思います。あるいは喜びに生きる自由をゆるしていただいているということでしょうか。

自由は放縦ではなく、選択であるということでしょう。