われらの歩むすべての道においてわれらを守り、われらの間にみ国をすすめ、神であるあなたが現実にわれらの間におられ、みわざをなさっていることを経験し、見させてください。われらのわざが成功しそうになくとも、われらはあなたのみわざをよろこぶことがゆるされます。みわざは変わることなく、みわざによってわれらはよろこび、あなたのなさることを日ごとに感謝したいと願うのです。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、34頁
〔御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。〕(1ヨハネ3・1)
2018年2月1日(木)
神さまのなさってくださる「みわざ」と私たちがなそうと願う「わざ」は別のものです。私たちがなそうと願う「わざ」がたとえ成功しそうになくても、神さまの「みわざ」は変わることなくなされています。その変わることのない神さまのわざを喜び感謝することが信仰に生きる者にゆるされた生き方です。
そうすると神さまが現実に私たちの間におられ、みわざをなさっていることを経験し、見させていただくということは、この「神さまのわざを喜び感謝する」ということではないかと思います。
たとえ私たちのわざが成功しそうになくても、つねに神さまを喜び感謝する、神さまの子とされたことを喜び感謝するものとならせていただきたいと思います。