われらが親しくみ手のうちにあることを、われらの誤りも、脆さも、もはやなにものでもないことを、われらのすべてに感じとらせてください。われらは自分の誤りや脆さにもかかわらず、まっすぐに目標をめざしてまいります。あなたがこの目標をたててくださいました。そしてその目標をめざすわれらを、罪のゆるしと、われらの心に与えてくださるすべてのよきことによって、助けてくださいます。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、17f頁
〔すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。〕(マタイ9・2)
私たちは神さまのみ手の中にあります。それは私たちの強さも弱さもすべてが神さまのみ手の中にあるということです。そしてみ手の中にあるということは、それらがもはや「なにものでもない」ことになりました。
私たちは神さまのみ手の中にあって生かされています。生かされていますので神さまの側に目的があります。たとえ私たちが自分の生きる目的を見出せなくても、神さまが私たちの生きる目的をお持ちになっていてくださいます。私たちはその目的、目標をまっすぐにめざして生きていきます。
その道をささえるものは「罪のゆるし」と神さまが与えてくださる「よきこと」です。私たちは今日も神さまのゆるしの中に生かされていることを知り、それゆえ神さまが今日もよいことを備えていてくださることを信じ生きていきます。そのような生き方が、み国の前進に実を結ぶことを信じています。