ラザロの復活
2017年10月19日(木)ラスコーリニコフは彼女(ソーニア)のほうをふり向いて、胸をおどらせながらその顔を見た。そうだ、はたしてそうだった! 彼女はすでにまぎれもなくほんとうの熱病にかかったように、全身をぶるぶるふるわせていた。彼はそれを期待していたのである。彼女は偉大な前後未曽有うの奇跡を語る言葉に近づいた。偉大な勝利感が彼女をつかんだ。・・・
〔ドストエフスキー〕
『愛と自由のことば』
大塚野百合、加藤常昭編
日本キリスト教団出版局、1972年12月15日初版発行
2011年6月20日第14版発行
319頁
「イエスは彼女に言われた。『もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。』・・・そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。」(ヨハネ11・40~45)
栄光という言葉は、旧約聖書の書かれたヘブル語では「重たい」という意味をもっています。重たい、重みがある、つまり存在感があるということでしょう。神さまの栄光を見るということは、神さまの存在感を見る、あるいは知るということでしょう。
神さまの存在感が感じられるので、その結果、神さまを信じるというのではありません。信じるならば、神さまの存在感を見ると聖書は語ります。信じることが先行して神さまが生きて働いておられることを知る、というのです。
信じることがないならば、どんな奇跡を見ても、神さまの栄光を見ることはありません。しかし信じるならば、そこに神さまの栄光を見ることが出来るのです。
今日も信じて新しい一日をはじめましょう。
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