迫害されるイエス

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迫害されるイエス
2016年5月31日(火)

 神の愛する子、イエスは迫害されます。貧しく、柔和で、悲しむイエス、義のために飢え渇くイエス、憐れみ深く、心の清い、平和を実現する人イエス、このようなイエスはこの世では歓迎されません。神によって祝福された者は既存の社会秩序に対する脅威であり、自らをこの世の支配者であると考える人々にとっては頭痛の種です。イエスは、誰も告発していないのに人々は告発されたと思い込み、誰も非難しないのに人々は気が咎め、恥ずかしく思う。誰も裁いていないのにイエスを見た人は裁かれたように感じる。人々の目には、イエスは容認されてはならず、容認することの出来ないものと映ります。なぜならイエスを生かしておくことは、罪を認めるようなものだからです。
 イエスのようになろうとするなら、受け入れられ、賞讃されることがいつも期待出来るわけではありません。拒絶されることに備えなければなりません。

ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
195頁。

イエスさまのようになろうとすると、この世はそのような存在を受け入れませんので、迫害されること、拒絶されることになります。イエスさまのようになろうとしないならば、この世は歓迎してくれるでしょう。歓迎されるということは気持ちの良いことですが、いのちの道がそこにはありません。

拒絶されることを覚悟しなければなりません。そのために備えなければなりません。備えとは何よりも神さまの愛に愛されていることを確信することでしょう。

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