「我は我が分に於て我に自主なるも、主に対しては微臣なり。小僕なり。主は至尊なり。中心なり。我は唯主の恩恵の下に、其親近に奉事するを得るのみ。此れ篤く体せざるべからず。」 新井奥邃、『聖言』、208

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「我は我が分に於て我に自主なるも、主に対しては微臣なり。小僕なり。主は至尊なり。中心なり。我は唯主の恩恵の下に、其親近に奉事するを得るのみ。此れ篤く体せざるべからず。」

新井奥邃、『聖言』、208

「私という存在は、私の領域において、私が自ら主人であるが、主に対しては小さな家来である。小さなしもべである。主はこの上なく尊いお方である。中心である。私はただ主の恵みの下に、そのそば近く仕えるしもべのように奉仕することが許されているのである。これは深く体験しなければならない。」

 神さまを中心として生きること。神さまを主人として、自らをしもべとして生きること。自分のなすことは、神さまのしもべとして、神さまからおゆるしをいただいて行っていることをわきまえること。これが謙遜の道であり、豊かな人生の祝福です。それは自分を見失うのではなく、自分自身にしっかりと生きる道です。喜びを感謝をもって愛に生きる道です。

〔聖書の個所〕

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
(ローマ10章9~10節)

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