「世人動(やや)もすれば言ふ、言に跡なしと。是れ大いに誤る。言は其心に発して其口に見(あら)はれ、而して復(また)其身に帰宿す。善となく悪となく、其身の一部は其言を以て長ず。言慎しまざるべからず。」

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「世人動(やや)もすれば言ふ、言に跡なしと。是れ大いに誤る。言は其心に発して其口に見(あら)はれ、而して復(また)其身に帰宿す。善となく悪となく、其身の一部は其言を以て長ず。言慎しまざるべからず。」

新井奥邃、『聖言』、204

「世間の人はややもするとこういう『言葉に痕跡はない』と。これは大きく間違っている。言葉はその心から出て、その唇に現れる。そうして再びその人自身の身に帰り宿る。善であり悪であり、その身の一部はその言葉によって成長する。言葉は慎まなければならない。」

 電話と手紙と、思いを伝えるのはどちらが良いか。電話は空気だから消えてしまう、しかし手紙は残るので何度でも読み返してその心をいただくことができる、といいます。そうだろうと思います。大切な愛の言葉は、電話だけではなく、手紙で伝えるのがいいかもしれませんね。
 それはさておき、電話であっても手紙であっても、おおよそ日常に語るさまざまな言葉はその場限りのことであり、その後影も形もなくなってしまうので、どうでもよいことである、というのは間違いです。相手にとってもそうですが、何よりも自分にとってどうでもよいことではないのです。語る言葉は、すべて心の中から出てくるものです。心にないことを言ってしまったといいますが、そんなことはありません。心にあったから口に出ているのです。その言葉をいちばん身近で聞いているのは神さまですが、その次に近くで聞いているのは自分自身です。誰かに語っているようですが、それよりも近くで自分は聞いているのです。そうして自分自身の身に宿ります。自分という存在は、まさに自分の語った言葉によって成り立っているのです。善を語るならば、善に生きる者となり、悪を語るならば、悪に満ちた者となるのです。
 言葉は、しっかりとコントロールしなければなりません。しゃべりたいことをしゃべっている人には、いつまでたっても人間の成長を見ることがありません。

〔聖書の個所〕

いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。
(詩篇24編12~14節)

自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。
(ヤコブ1章26節)

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