「或人来りて問ふて曰く、信を篤くする之を如何と。答へて曰く、怒りを除き慾を去り、以て神に奉事するは信を篤うする所以なり。之を外にして信を養ふの道あらざるなりと。」
新井奥邃、『聖言』、195
「ある人がきて問いかけました。信仰を篤くするためにはどうすればいいでしょうか、と。答えて言われました。怒りを除き、欲望を取り去り、そうして神に仕えることが、信仰を篤くする方法である。この外には信仰を養う方法はなり、と。」
目に見えない神さまを信じることは、簡単なことではありません。知識や修行を積み上げれば誰でもできるということでもありません。かといって子どもでもできることでもあります。それこそ神わざではないかと思います。
人間にできることは、怒りを除き、欲望を取り去り、そうして神さまにお仕えすることである、と言います。怒りという感情の前に、人間はあまりにも無力です。しかし怒りはおのずと生れてくるものでもありますから、日々戦いです。また欲望も同じでしょう。現実にはなかなか難しいことです。
自分の力で怒りや欲望を戦うことが難しいとすれば、神さまのお力にすがらざるを得ません。いや、自分の力で立派に闘って見せる、という人もおられるかもしれませんが、それはあまりに高慢であるというものです。謙虚になって神さまに助けていただきながら、怒りと欲望との戦いを戦うならば、おのずと信仰篤い者にしていただけるのです。それが神さまに仕えるということです。
〔聖書の個所〕
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
(エペソ4章30~32節)
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