「大徳は跡なし。跡なきにあらず。其行くや静かにして凡人の目に隠る。譬へば淵川の能く庶物を潤ほして氾濫するなきが如し。謙道を厭はず。故に隠路を通じて遺さず。世人の其路を見ざる所以なり。」
新井奥邃、『聖言』、181
「偉大な徳は痕跡を残さない。痕跡がないということではない。その行動は静かであって多くの人の目には隠れている。たとえば大河が上手にさまざまなものを潤しつつも氾濫しないことのようである。謙遜の道をいやがらない。よって隠れた道を通ることによって(痕跡を)のこさない。世の人がその道を見ない理由である。」
人間はほめられるとうれしいし生きる力が湧いてきます。しかしけなされるとガッカリして生きる力を見失います。それは自然なことだと思います。しかしこの自然なことが、神さま抜きでなされると、どうしても人との比較という問題が生まれます。また人前でほめられたくて行動するということが生まれます。人間に終始していると自然なことも不自然なこととなり、自分を生かすどころか殺してしまうこととなります。
ですから人間は神さまにお出会いしなければなりません。神さまの前にどう生きるか、ということを大切にしなければこの袋小路から抜け出せないのです。
この世に痕跡を残さないという人生を歩みたいと思います。それにはただ神さまの前に痕跡を残す人生を歩まなければなりません。
〔聖書の個所〕
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
(マタイ6章1~4節)
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