「人若し新生命を得んと欲せば、司馬たるの前に馬丁たらざるべからず。師匠たるの前に丁稚(でっち)たらざるべからず。天上に昇るの前に地下に奉行せざるべからず。人の開新して健全に至るは、必ず百錬を経て聖となりたる後に在り。百錬豈独り理想を以て得べけんや。必ず千辛万苦の実習に因る。」
新井奥邃、『聖言』、177
「人がもし新しいいのちを得ようと願うならば、「司馬」に仕えて口取りとなりなさい。師匠のまえに丁稚となりなさい。天の上に昇る前に、地の下に仕えなさい。人が新しく開かれ健全へ到達するということは、必ず多くの試練を経験して聖なる者となったのちにおこることである。多くの試練は独り理想を掲げるだけでどうして得ることができるであろうか。かならず多くの辛さや苦しみを実際に経験することによる。」
苦しみや悲しみ、辛いことが単純に人をきよめたり、高めたりするわけではありません。苦しみがかえって人をひねくれたものにしてしまう場合も多いことです。苦しみをどのようにとらえるのか。理屈の上だけではなく実際に苦しみを経験したときに、それを「試練」ととらえることができるかどうかが分かれ道でしょう。
新しいいのちに生きる、尽きることのない永遠のいのちに生きるためには、人生におこりくる苦しみを試練ととらえ、忍耐を謙遜を学ぶ中に得られていくことです。
〔聖書の個所〕
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
(第1ペテロ4章12~14節)
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