「神の名を濫用する勿れ。基督の名を濫用する勿れ。」
新井奥邃、『聖言』、161
「神の名を濫用していはならない。キリストの名を濫用してはならない。」
濫用するということは、自分勝手に利用するということでしょう。まるで神さまを奴隷のように使うということでは、もはやそれは神ではありません。神さまへの正しい畏れを持つことが、神さまへの信仰に生きるということですから、常に神さまを主人とすることが大切です。
旧約聖書の人びとは、このことを大切に考えて、聖書を読むときにも「主の名」を口に出さなかったそうです。しかし口に出さないからといって濫用していないとはならないでしょう。問題は信仰姿勢、また心のなかの問題です。
困ったことが起こると「オオ、マイ、ゴッド」、憎しみを表わすのに「ジーザス!」などと、ハリウッド映画にかぶれて、それがまるでかっこいいことのように使っている人がいます。困ったことや憎しみを表わすのに、自分の名前が使われているのを、神さまは喜んでおられるでしょうか。もちろん祈るということでは、神さまに呼びかけることは善いことかもしれませんが、しかしそこでも神さまへの敬虔な心を大切にしたいと思います。
〔聖書の個所〕
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
(出エジプト20章7節)
だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
(マタイ6章9節)
皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
(使徒4章11~12節)
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