「才智は有用なるも、才智の為めに生命の宝を失ふに至る者滔々たり。虚栄なき者の天命に安んずるを得る易きに如かず。」
新井奥邃、『聖言』、43
「才能や知識は役に立つものである。しかし才能や知識のために、生命の宝を失ってしまう者が多く歩んでいる。実質の伴わない外見だけの栄誉など持たない者こそが、神さまの導きの中に平安をもって生きることができる。それに越したことはない。」
もって生まれた才能や努力によって得た知恵や知識は、この世界で生きていくうえで役に立つものです。しかしそれにおぼれて、一番大切なものであるはずの「生命の宝」を見失ってしまうならば残念なことです。
「生命の宝」とはいったい何であるのか。永遠のいのちかもしれませんし、あるいは永遠のいのちからくる、愛であるとか喜びであるとか、そういう目に見えないものを指しているのかもしれません。いずれにせよ、虚栄、すなわち実質の伴わない見栄やうわべだけの栄誉ではない、真実に平安をいただく生き方を与えてくれるもののことでしょう。
〔聖書の個所〕
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。
(ガラテヤ5章22~26節)
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