「神の道は口上に在らず。又形式に在らず。実悦実楽に在り。而して是れ人に於て多量の物ならず。只一滴只一粒。而して足る。足らざるなきなり。」
新井奥邃、『聖言』、38
「神さまの道、すなわちキリスト教信仰は、語られているところに存在しているのではない。またうわべに現れた形や内容と切り離された実質を伴わない構造や枠組みといったところに存在しているではない。真実の喜び、真実の平安や楽しさのあるところにこそ存在する。そうであるからこの神さまの道が人の上に実現するために、多くのことは必要ではない。ただ一滴、ただ一粒。それで充分である。足りないことはまったくない。」
実際の生活の中で喜びや平安、楽しみを生み出すのが、キリスト教信仰です。そのために必要なことは、ただ一つの事、聖書の言葉に耳を傾けるということです。それさえあれば、そのほかの事は、みなついてきます。
〔聖書の個所〕
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
(マタイ6章31~34節)
主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
(ルカ10章41~42節)
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