「美善の心なき者は人に非ず。慈悲の誠なき者も、亦人に非ず。哀慟の感なき者も同じく人に非ざるなり。人は本来之を有す。而して今之を失ふ。即ち人たる者あらず。人にして既に人に非ざるに至れば、必ず動いて禽獣の下に降る。乃ち深海の海底に沈むなり。」

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「美善の心なき者は人に非ず。慈悲の誠なき者も、亦人に非ず。哀慟の感なき者も同じく人に非ざるなり。人は本来之を有す。而して今之を失ふ。即ち人たる者あらず。人にして既に人に非ざるに至れば、必ず動いて禽獣の下に降る。乃ち深海の海底に沈むなり。」

新井奥邃、『聖言』、35

「美の心や善の心のない者は人ではない。慈悲の心のない者もまた人ではない。憐れみの心や悲しみの心のない者も人ではない。人は本来これらを兼ね備えている。しかし現在はこれらを失ってしまった。よってみな人でなくなってしまった。人といえる者はひとりもいなくなってしまった。人であるといいつつ、すでに人でないとなれば、いずれは鳥や獣にも劣る恩義や道理を知らない人となる。遂には日の射すことのない深い海のような暗やみの底に沈むような人生となるであろう。」

 神さまに造られた人間は、「良いもの」として造られました。すなわち、美、善、慈愛、憐れみ、悲しみを持ったものとして造られたのです。しかし人は神のようになろうとして高慢の罪を犯しました。そうして罪人となった瞬間、これらをすべて失ってしまったのです。これらを失ったままでは、その人生はただ暗黒の中に沈むようなものです。人生が暗やみであるのは、誰かが悪いのではなく、自分自身の中から、美、善、慈愛、憐れみ、悲しみが失われているからです。
 罪を犯した者がいくら良いことを行ったからといってその罪が帳消しになることはありません。私たちには自分を救う力はありません。このような罪人である私たちを救うために、神であるお方が人となってこの地に来てくださいました。それがイエス・キリストです。キリストに信頼して歩むならば、そこに救いの道が開かれます。私の心のなかに、美、善、慈愛、憐れみ、悲しみの心を神さまが新しく造って下さいます。

〔聖書の個所〕

神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」・・・そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。
(創世記1章27~31節)

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
(ローマ3章23~24節)

それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
(コロサイ3章12節)

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