「定命に於て自由を楽しみ、自由に於て定命に従う。」

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「定命に於て自由を楽しみ、自由に於て定命に従う。」

新井奥邃、『聖言』、28

「天から定められている運命、あるいは寿命の中にあって、本当の自由を楽しみ、本当の自由の中にあって、天から定められている運命、あるいは寿命を受け入れて生きる。」

 「定命」を「ていめい」と読んで、天から定められている運命、と解し、「じょうみょう」と読んで、寿命と解しました。いずれにせよ人生の「枠」のようなものですね。
 この枠を、時間的にも、能力的にも受け入れるところに、真の自由があります。またほんとうの自由を持っている人は、自分の寿命や限界を健やかに受け入れて生きることができます。
 愛猫が5月の半ばに死んだのですが、息を引き取る前の一週間、何も口にしようとせず苦しみと戦いました。自分の寿命を悟ったかのようにあっぱれな死に方でした。神さまの造られたものとしての健やかな生き方を教えられたような気がします。

〔聖書の個所〕

私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
(ローマ14章7~8節)

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
(伝道者12章1節)

そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。
(創世記6章3節)

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