〔ほめたたえる教会〕
2015年5月6日(水)今、主なる神は私たちをたしかに、正当にあるいは不当にも不平を言わざるをえない大小の一切において、一切に対して、私たちを耐え忍び支えてくださいます。
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「我は罪の赦しを信ず」がたしかに意味しているのは、私は日々の不平、叱責、抗議の赦しを信じます、ということでもあります。私たちがそれを信じ、この赦しを受け入れると仮定してみるなら、私たちはいったいどんな具合なのでしょうか。その時実際これまでどおり不平を言うことができ、そうしていいでしょうか。
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日々主をたたえよ! 私たちを、私たちの助け主なる神が担ってくださいます。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、258ff。
私たちは日々主イエスさまに支えていただいているので、不平を言うことから解放されています。不平を言わなくてもよいのです。しかし罪びとである私たちは、それをすぐに律法にしてしまいます。つまり不平を言ってはいけない、主をたたえるべきである、と。私たちは罪人なので、自由や解放といったことも、律法にしてしまいます。
しかし聖書は、そういう律法から解放されたと私たちに語ります。
この自由と赦しのために神さまが十字架と復活のあがないのわざをなしてくださいました。福音をも律法にしてしまう私たちですが、その私たちを今日も忍耐していてくださいます。
この神さまの忍耐を知るならば、私たちはただ主をほめたたえるしかありません。
ただ感謝と喜びをもって主をほめたたえるしかありません。
(祈り)
神さま、あなたのご忍耐を感謝します。今日も主を心からほめたたえます。
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