〔我らの御父 主の祈り〕
2015年2月27日(金)「三つの最後の願い」は私たちに直接に、非常に現実的に関係しています。そこで重要なのは、私たちの豊かさ、繁栄、私たちの肉体的および信仰上のおよび天の救いです。神はイエス・キリストにおいて私たちの事柄を―生活の大小の問題を―神の事柄と一つにされたので、今や全く簡単に、私たちの有利になるよう請い求めることが許され、命じられてさえいます。
ここに私たちの生活全体が関わるのです。神の御許に私たちの荷物すべてを置き、神に委ねることが許されているばかりでなく、使命であります。すなわち、この世で旅するには、非常に大量の荷物を抱えて来るからです。
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キリストは神であって、自ら人となられました。だからキリストは大きな事物全てに、とくに私たちが心を奪われる小さな事物全てに、関心を抱かれたのです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、127f。
「我らの日用の糧をきょうも与えたまえ、
我らに罪を犯す者を 我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ、
我らをこころみにあわせず 悪より救い出だしたまえ・・・」
私たちの人生において必要なものはこの三つに代表されます。この三つの必要が満たされるならば、人生は豊かな祝福となります。この三つが欠けているならばその人生は祝福ではありません。
日用、つまり毎日の糧。罪の赦し。苦しみ。この三つに解決が必要なのです。
イエスさまは、これを父なる神さまに祈りなさい、と教えてくださいました。それは許しであると共に、命令でもあるとバルトは言います。
私たちは日ごろ抱える重荷は、大変卑近なものも含まれているのですが、すべて例外なく神さまのみ手の中の事柄になったのです。イエスさまによって。
(祈り)
神さま、すべてのことをあなたに祈りゆだねることができる幸いを感謝します。
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