シオニズム、今日のイスラエル問題について

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そもそも、ユダヤ人とは、ユダヤ教徒のことであった。だから、宗教的にはユダヤ教徒でも、民族的にはさまざまに異なる。「ベニスの商人」に登場する「鷲鼻」ユダヤ人は、ヨーロッパでのユダヤ人像のステレオタイプだが、エチオピアのファラシャと呼ばれるユダヤ人は、褐色の肌を持つ。中国では開封に長らくユダヤ人共同体が存在していたが、彼らの容姿は他の中国人とほとんど変わらない。信仰と、何民族か、とこの国に属するかは、別のことのはずだった(ただし、母親がユダヤ人なら子供はユダヤ人、とされており、そのことで「血縁」的要素も無関係ではないのだが)。
ところが、近代ヨーロッパでの環境が、ユダヤ人たちを単なる「教徒」に留めさせなかった。ヨーロッパが国民国家の時代を迎えるのと並行して、ロシアやフランスなどでは、ユダヤ教徒に対する差別、迫害が広がった。ユダヤ人たちは、その宗教上のアイデンティティーゆえに、ヨーロッパの「国民」として平等に認められない、という辛酸をなめることになった。
今住む国の「国民」になれないのだとしたら、自分たちが自分たちの「国」と「国民」を作り上げるしかないのではないか。その差別される原因である自分たちの宗教上のアイデンティティー、つまりユダヤ教徒であることを、国民の要件としよう。すなわち、「ユダヤ教徒」を「ユダヤ人」にするのだ―。これがヘルツルのシオニズム思想だった。
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シオニズムは、勝れて世俗的―つまり、神の作りたもう宗教ではなく、人間の作るものとしてのナショナリズムの発想だった。

酒井啓子、『中東の考え方』、講談社、2010年、84頁f

かねてからユダヤ民族という言葉に違和感があったのですが、この文書により目から鱗が落ちる経験をしました。イスラエル民族は、世俗的なナショナリズムによって、欧米の都合の中で作られたものであり、宗教的な、信仰的なものは、隠れ蓑である、ということでしょうか。

そうであれば、今日キリスト教会において、イスラエル国家の優位を主張するグループがありますが、それは、単に欧米の考え方の中にのせられてのことであると言えるでしょう。ユダヤ人の始祖であるアブラハムもカルデヤのウル出身であると聖書は語りますが、カルデヤのウルは、一説では今日のイラク南部ということですので、アブラハムはアラブ人ということになります。

ユダヤ人とは、血統や民族ではなく、神さまに従う信仰共同体である、ということでしょう。ですから、いくらユダヤ人の血統の中にあっても、神さまに従っていないならば、それはイスラエルということはできない、ということになり、現在のパレスティナにあるイスラエル国家は、聖書の語るイスラエルとは全くの別物ということになるでしょう。

聖書の語るイスラエルとは全くの別物である今日のイスラエル国家について、ことさらひいき目で見たり、逆に反対することは、キリスト教とは全く関係のないことということになります。

「隣人を愛しなさい」といわれたイエスさまのお言葉に従いたいと思いますので、イスラエルびいきの中でイスラム圏の人々を敵のように考える考え方は、イエスさまを信じる者の考え方ではないと思います。民族、主義主張を超えて、互いに仲良く生きる世界であってほしいと思います。

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