〔神の忍耐のもとにある生〕
2014年8月8日(金)
新郎と新婦の幸福の中には、自分自身の幸福を自分たち自身で作り出すことが許されているという地上の人間の正当な誇りがなければならないのです。ここで神の意志とか、神の導きとかについてあまりに性急に、しかもあまりに熱中して語るのは適当ではありません。
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あなたがた夫婦は、あなたがたが意図することを成功させるために、あらゆる責任を負わなければならないのです。
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あなたがたが、もし今日、これが自分たちの意図であり、自分たちの愛であり、自分たちの道であると進んで言い表そうとしないなら、それは誤った信仰に逃げこんでいることになるでしょう。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、392頁f。
夫婦が夫婦となるために、家族が家族となるために、責任感が必要です。
神さまへの信仰はもちろん大切なことなのですが、それが責任感の欠如となるのであれば、祝福された夫婦、祝福された家族を築くことはできません。
配偶者に向かって、また家族の一人に向かって「あなたの慰めとなります」という決意、責任を負う信仰が必要です。
(祈り)
神さま、隣人の慰めとなる決意、責任感を与えてください。
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