新聖歌404 「弟子となし給え」

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1、弟子となし給え わが主よわが主よ 弟子となし給え わが主よ 心の底より 弟子となし給え わが主よ

(新聖歌404)

この下線のところが、変わって2節3節と続きます。

2、愛を増し給え 3、きよくなし給え 4、主をば倣いたし

(新聖歌404)

Negro Spiritual(黒人霊歌)と記されているこの賛美は聖歌433からのものです。この新聖歌404番では、4節までの賛美となっていますが、聖歌433をみると5節までの賛美となっています。聖歌433では4節として、上記の下線のところを「ユダにはなるまじ」という歌詞があります。そして新聖歌404で4節となっているのが、聖歌433では5節になっています。

つまり聖歌433を新聖歌404として掲載する時に、「ユダにはなるまじ」という歌詞の4節を省いたということです。

なぜこの4節を省いたのでしょうか。

ユダとはイスカリオテのユダのことで、最後の晩餐の後口づけをもってイエスさまを裏切る弟子です。マタイの福音書26章47節を見るとこのユダのことを「12弟子の一人であるユダがやってきた」とマタイは紹介しました。裏切るためにやって来たのですから、もう自分たちの仲間ではないはずです。しかし聖書はそのようなユダをこの時も自分たちの仲間であると書き記すのです。それは裏切るユダは私たちの心の中にも巣くっているということを語っているのでしょう。それがわかることがキリスト教信仰であるということでしょう。そうであれば、「ユダにはなるまじ」、つまり決してユダにはならないぞ、という言葉は、神さまへの賛美にならないことになります。むしろ、ユダを宿している私をどうか助けてください、あわれんでください、という言葉がふさわしいのではないかと思います。

弟子となし給え、と願う心は、ユダを宿している私をあわれんでください、という祈りの中に導かれるということでしょう。

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