2014年2月2日(日)
神が自分に痛みと苦しみとを加えたということが神の復讐であり、神はそのことによってわれわれに復習をまぬがれさせ、われわれを受け入れたのである。神が自分で苦難を負ったということが神の復讐であり、神はそのことによって敵を許したのである。われわれのうちに、「自分が賢い者だとうぬぼれてはならない」という言葉が鳴り響かないであろうか。あなたがたに対する神の道は、なんと不思議で測りがたく、なんと憐れみ深く愛に富んでいることであろうか。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、59頁。
主イエスさまの十字架。それは神さまがご自身に痛みと苦しみとを加えたということです。
私たちは自分たちの思う限りの正しさをもって主イエスさまをさばき、殺したのです。神さまはそれをそのまま受け止めてくださいました。
おそらく多くの人は、そんな馬鹿なことがあるか、というでしょう。神さまの救いのご計画は人間の知恵からすれば、不思議で測りがたく、そして憐れみ深く愛に富んでいるのです。
自分が復讐しなければならないという思いから自由にされて、神さまに一切をゆだねる者になりたいと思います。
(祈り)
神さま、復讐しなればならないという思いから自由にしてください。
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