私たちの霊が神のもとに戻るまで、キリスト者は誘惑から全く自由になることはできません。
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神の子ご自身が肉体を取られている間、主はご自身の生涯の終わりに至るまで試みを受けられたのです。それゆえに、主の僕である私たちは主ご自身のようになることを期待しましょう。(マタイ10章24~25節参照)
マルコによる福音書1章13節
2013年11月29日(金)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
354頁
誘惑とは悪魔が私たちを神さまから離そうとすることです。神さま以外のものに心を向けるように誘惑するのです。
信仰に生きようと願うものほどこの誘惑にさらされます。信仰に生きようとしない者を誘惑をする必要がないので、誘惑にさらされることは少ないでしょう。
誘惑があるということは、信仰に歩もうとしているしるしでもあります。
誘惑にさらされるとき、主イエスさまを見上げて、主のように耐え忍ぶことができるように助けていただきましょう。
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