その人が語ることが聖書と同じように真実であっても、それが悪口になるときもあるのです。というのは、そしることはそこに存在しない人の悪口をいうことだからです。
テトスの手紙3章2節
2013年10月13日(日)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
306頁
「そしる」ということは、謗る、誹る、という漢字を書きますから、誹謗するということでしょう。誹謗とは、悪くいうことです。人のことを悪くいうことです。
ウェズリはさらに、そこに存在しない人の悪口をいうことである、と語ります。そこに存在しないということは反論できないということですから、反論できないとそれがまるで真実のようになってしまいます。単に悪口を言うだけではなく、もっとひどいことになってしまいます。
そもそも人間には良いところも悪いところも混在しています。混在していない人は一人もいないでしょう。
ですから誰でもその悪いところを指摘されることが可能なのです。そういうお互いが共に生きているわけですから、そこでそしりはじめるならば、それはどんどん膨らんでいき、やがて共に生きることが難しくなるでしょう。
どんなに正しいことを言っていても、共に生きることができなくなったならば、何の意味があるのでしょうか。正義は貫いたが、焼け野原で誰も生きていくことができなかった、ということが起こるのです。
とにかく誰をもそしらないようにしましょう。
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