神はキリスト者の中に命の息を吹き込むことができるのです。そして恵みにおいて私たちの前を進んでくださり、伴い、後から支えてくださいます。
コリントの信徒への手紙 第1 3章11節
2013年10月9日(水)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
302頁
土台はキリストです。人生の土台、信仰の土台、自分自身の土台はキリストです。
土台がしっかりしているとしっかりと生きることができます。土台がしっかりしていないとぐらぐらと揺れる生き方になります。心もとない、不安な生き方になります。
しかし土台がしっかりしているとしっかりと生きることができるのです。
私たちはいろいろなものを土台とします。聖書はキリストが土台である、と語ります。しかし私たちはもっと別のものを土台としてしまいます。目に見えるもの、経済や名誉、名声、人からどう思われるか、あるいは、清く正しく歩んでるかどうか、立派なことをしているかどうか…。
しかし聖書はキリストを無視してほかの土台を据えることはできないと語ります。土台はその上に生きている人間が左右することのできるものではないと語るのです。
すでにキリストが土台となっていてくださる。その真実は変わりません。
キリスト以外のものを土台とするような偽りの生き方ではなく、すでに土台となっていてくださるキリストを見上げて歩みましょう。
キリストは私たちの前を進み、伴い、後ろから支えてくださっています。
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