神の愛のしるしとしての十字架

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十字架はあなたのために神によって準備されたものです。そして神の愛のしるしとしてあなたに与えられたのです。もしそのようなものとしてあなたが十字架を受け取るならば、それはあなたの最善のために主が命じてくださったものです。

マタイによる福音書16章25節
2013年9月20日(金)

『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
281頁

「それはあなたの最善のために主が命じてくださったものです」という言葉がややわかりにくいのですが、「それは」というのが十字架のこととすれば、「あなたの最善のために主が命じてくださったもの」と「なる」ということではないかと思います。つまり十字架を、私のために神さまによって準備されたものであり、神さまの愛のしるしとして私に与えられたものである、と受け取るならば、その十字架は、私にとって最善のものとして主が命じてくださったものと「なる」、ということではないでしょうか。

神さまからのものとして受け取らないと、自分の最善のものとはならない。けれども神さまからのものとして受け取るならば最善のものとなる、のです。

十字架。今私たちの取ってどのような十字架が与えられているでしょうか。それを神さまからの愛のしるしとして信仰を持って受け取るならば、自分の人生にとってその十字架は最善のものとなる、私の最善となるというのです。

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