ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれに期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。
フランクル、『夜と霧』、霜山訳、184ページ
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向変換することだ。私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えなければならない。
フランクル、『夜と霧』、(新版)、池田訳、129ページ
ある時人々に祝福を語るイエスさまに、あなたはなんの権威によってこれらのことをしているのか、と問いかけた人がいました。主イエスさまはそれには答えず、逆にバプテスマのヨハネは神からか人からかと問い返されました。主に問いかけた人はこの主からの問いに答えることができず、結果、主への問いに対する答えもいただくことができませんでした。
人生は私たちは色々と抱く人生の課題への答えをいただくところに開かれるのではなく、私たちが様々な形でいただく人生の課題に答えていくところに開かれていきます。
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