柳田國男という学者が、先生から教えられたことをそのまま真似(まね)るような勉強の仕方をマナブーマネブという古い言葉と同じ―、それを自分で活用することもできるようにするのがオボエル―自転車の乗り方をオボエルというでしょう―、そして教えられなくても自分で判断できることをサトルと分けました。マナブからオボエルに進まなくてはならないし、できればサトルようになりたいといっています。
大江健三郎、『「自分の木」の下で』、朝日新聞社、2001.7.1 98ページ
信仰もマナブからオボエルに進まなくてはならないところがあると思います。主がともにいてくださいますからそのように生かしてくださいます。感謝。
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