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めぐみのパンくず

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。”        ヨハネ16:33

◎信仰者が置かれる世界には時に嵐が吹きます。イエス様はどんな時にも主の平安があるようにとヨハネ14:27で平安の約束を下さいました。告別説教の締めくくりでも平安が常に信者にあるようにと願われます。

◎ずばり「艱難がある」からとイエス様は言われます。キリスト者としての患難です。それはイエス様がこの世に受け入れられなかった所の患難、使徒パウロがロマ書(8章)で語った患難。弟子たちが受けた患難です。現在のキリスト者にも信仰ゆえの患難がありますね。

◎その中で「勇敢でありなさい」と勧められます。詳訳聖書には「勇気を出し,硬く信じ、確信を持ち、臆せずにいなさい」とありますが、イエス様が世に勝たれたお方として共にいてくださるからです。使徒パウロはロマ書8:37でイエスさまによって「圧倒的な勝利」となることが出来ると言いました。英語の聖書には、モア~・ザン・コンケラとか書かれています。コンケラーとは征服者のことですが、モア~・ザンがつけられていますから「征服者以上」と言う意味になります。ある先生は「余裕しゃくしゃく」と言われました。

◎私たちを勝利者にして下さるイエスさまに対する条件を見てみたいともまいます。①イエスさまを信じて、愛するからです。vs30を読みますと弟子たちは「・・信じます」と告白していますが、イエス様は「今、信じているのですか」とVs31言われます。もう一度詳訳聖書を見ますと、「ついに信じると言うのか」と書かれています。「よくぞ!」と思われたような気がします。

めぐみのパンくず

まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。” ヨハネ16:20

◎キリスト教信仰は“よろこびの信仰”と言われます。喜びは笑いと違って無理に作ることはできません。そこでキリスト者の喜びをイエス様のお言葉から学びましょう。

◎第一のよろこびは、復活の主を拝するよろこびです。弟子たちはイエス様がいなくなられることを悲しみました。すべてを捨てて従ってきた弟子たち、イエス様がおられなくなったら絶望的とも言えます。しかし、主が復活なさり弟子たちの前に現れなさった時のよろこびは大きなものでした。その喜びは「妊婦が子を産んだ時のよろこびと似ている」と言われました。出産は大変な痛みを伴います。しかし、元気な産声を聞いた途端に全部忘れるほどのよろこびが女性を覆ってしまうのです。

◎イエス様は言われます。反対に、ご自分が十字架で死に、いなくなったら「世はよろこぶ」と。この世界には真の神、人間のすべてを知り正しく裁きなさる神がいては困る人たちが大勢存在します。彼らは「神が死んだ」ことを願うのです。

◎イエスさまが復活されるよろこびは、死を乗り越えさせて下さったと言うだけにとどまりません。キリスト者はイエス様の名によって祈るならば「何でも父なる神さまは与えて下さるようになる」と言われるのです。父なる神さまはイエスさまの十字架の勲によって、イエスさまの名によって祈るならばきこうとおっしゃるからです。

◎イエスさまの復活が私のための復活と信じられる、永遠のいのちのよろこび。それに加えて、祈りをききたもうお方がおられるとは。この二つのよろこびが、「満ち満ちたよろこび」としてキリスト者に与えられているのです。

めぐみのパンくず

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。”伝道の書12:1

◎明日は敬老の日です。聖書が言うところの晩年を見てみたいと思います。

◎「若い日に創造者を覚えよ」と、まずあなたがどういうお方によって存在しているかを思うべきことを勧めます。人間は偶然に生まれたのではありません。アメーバから進化して来たのでもありません。宇宙の支配者なるお方によって造られたのです。なぜはっきりしておかなければならないのでしょう。

◎悪しき日が訪れるからです。肉体の問題と霊的な問題を取り上げています。肉体的に手、足、歯、耳、関節、衰えて行く気質、最後に身体その物が壊れて行くことが語られています。

◎霊的な問題はすべての人が神の前に立つ日が来るからです。「神を恐れよ」「神の命令を守れ」とありますが、恐れよとはびくびくすることではありません。私を造って下さった方に敬虔な思いを抱くことであり、命令を守れとはイエスさまを救い主と信じたのですから、この方に信頼し、語られたみことばに忠実に生きる事だと思います。

◎最後に聖書が言う老人の姿を見てみましょう。老人は①尊敬の対象です。レビ19:32「白髪の老人の前では起立し、~敬い~とあります。②伝道の書4:13には「貧しくても知恵ある若者は、もう忠言を受け付けない年取った愚かな王にまさる。」とありますが、頑固になりやすい存在でもあるのです。 

めぐみのパンくず

“その方が来ると、罪について義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。”ヨハネ16:8

◎イエスさまはご自分がもうすぐ去って行かれる事、そして後に残る弟子たちも苦難が訪れることを話されました。それを聞いた弟子たちの心は悲しみでいっぱいになったのです。

◎しかし、イエスさまが去られるのは益になるためと言われます。イエスさまに代わって助け主なる聖霊が来られるからです。その方が来られると・・世に三つの誤りを認めさせると。

◎罪について。聖霊は罪びとであることを認めさせることが出来るお方です。罪とは四っつに非ずと書きますが、盗んだり、殺したり、姦淫したり、偽証したりすることだけが罪ではありません。真の神を神としない所の罪なのです

◎義について。この世界に、一度も嘘をついたことがない人はいません。義しい人はいないのです。しかし、イエスさまはまことの人の子として、義そのものとして来られました。その方が天に帰られます。しかし、聖霊はその義しいお方を示し、心に現して下さるのです。

◎さばきについて。イエスさまはこの世を牛耳る支配者サタンが、裁かれたことを宣言されました。そのことを明確に知らせて下さるのが聖霊です。世の人たちは、真の神さまを信じないだけでなく、この世界を支配している大きな悪の存在を知りませんし、知ろうともしません。キリスト者は知っています。その悪の世界から救い出された事、キリスト者はサタンの支配下にいないことを。

聖霊は、それらを明らかにして下さいます。