日別アーカイブ: 2017年2月12日

めぐみのパンくず

私たちの主イエスキリストが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは誰でしょう。あなたがたではありませんか。”

               Ⅰテサロニケ1:19

◎Ⅰテサロニケ人への手紙の特徴は各章の終わりに「主の来臨」が示されていることです。使徒パウロの終末観とそれにかかわる宣教観が伴われて。イエス様が来臨なされる時、テサロニケの教会員がパウロにとってどれほどの存在であったかを表すみ言葉が上のみことばです。

◎「望み・喜び、誇りの冠」である、あなたがたこそその人々だというのです。人が救いに導かれるのは三位一体なるお方の働きです。しかし、あたかも自分が救いに与らせたごとくに喜びを溢れさせて下さるのです。キリスト者は誰かによって導かれました。神さまは人を用いられます。それはこの世では得られぬ喜びです。

◎このような関係はどんなに距離的に身体は離れていても心は一つなのです。導いた人、導かれた人の関係はこの世で終わるものではありません。使徒パウロは「しばらくの間」離されたと言いました。言語では「一時間ほど」という言葉が使われています。世の人にとっては引き離されることは、特に死によって引き裂かれる場合は、大きな悲しみです。キリスト者の別れはいつの時も「しばらくの間」離れている存在なのです。現在は祈りにおいて。永遠の命の世界においては顔と顔を合わせて

◎サタンはこの関係を切りたい、離れさせたいと働きます。しかし、み言葉を信じ喜ぶとき決して負けるものではありません。