日別アーカイブ: 2016年12月6日

めぐみのパンくず

「主は人々の中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」”      

ルカ1:25

◎バプテスマのヨハネの母エリサベツの告白です。祭司ザカリヤ、エリサベツ夫妻には子供が与えられていませんでした。イスラエルでは子供が与えられることは神の大きな祝福でした。しかし、その祝福がなかったのです。この夫妻は「神のみ前に正しく、主のすべての戒めを落ち度なく踏み行っていた」vs6にかかわらず。

◎神の祝福の時が来ました。祭司ザカリヤが当番で神殿の中で香をたく時、み使いガブリエルがあらわれ、子供の誕生を告知したのです。しかし、ザカリヤには信じられませんでした。その結果、聖書は「おしになった」と記します。信仰がないと良きおとずれを聞いても素直に受け入れられないのです。

◎神は不信仰を超えて約束を履行されます。エリサベツに子供が宿ったのです。5か月引きこもって、エリサベツはよろこびの声をあげます。25節の言葉です。「恥を取り除いて下さった」と。恥じ(オネイドス)には悪口を言う、罵詈、侮辱、非難などの意味ある言葉が使われています。人の口に戸は立てられないと言いますが、面と向かっては言われなかったとしても、悪評されていることを感じていたことでしょう。その払拭を神に感謝しているのです。エリサベツは、サラやサムソンの母を(いずれも高齢で出産)思い描いていたでしょうか。

◎「教会に霊の子どもを神さま与えて下さい」と願いたくなるみ言葉です。