日別アーカイブ: 2016年6月19日

めぐみのパンくず

父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だが弟は、死んでいたのに生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』”

ルカの福音書15:31,32

◎キリスト者が信じる神さまは父なる神さまです。罪びとなる放蕩息子が、父のもとに帰ってくるのを一日千秋の思いで待っておられるのです。

◎生前贈与を受けた弟息子が放蕩三昧の結果、我に返り、父の家で奴隷にされても良い覚悟で帰って来ます。「わたしは天に対しても罪を犯し、あなた(父)に対しても罪を犯しました。と激しい悔い改めの結果の告白でした。

◎「もうわたしは、あなたの息子と呼ばれる資格はありません、雇人の一人」になろうと帰ってきた息子を父は遠くから見つけ、走り寄り、抱き、口づけをします。「親」という字は木の上に立って見ると書きますが、首を伸ばして息子の帰りを待っていた父親でした。

◎雇人になる覚悟で帰ってきた弟息子に、最良の着物を着せ、指輪をはめ、靴を履かせます。罪人が神の子どもとされる姿の象徴です。義の衣、契約の指輪、罪の奴隷からの解放の徴です。そして祝いの宴が始まりました。

◎ところが「兄はおこって」とありますが、畑から帰って来て、父の喜びを理解できないのです。しばしば、いつも父なる神と一緒にいるはずの信仰者が、喜びの健忘症になり、救霊を忘れてしまっている姿と重なります。罪びとの悔い改めを心から喜ぶ者とされたいと思います。