日別アーカイブ: 2016年6月12日

めぐみのパンくず

見よ。わたしは新しいことをする。今、それが起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。”    イザヤ書 44:19

◎イエスさまを信じて、神の子どもとされたものは、すべて新しくされた者です。しかし、新しくされた世界に入ったはずなのに、その感動が失われていきます。イスラエルの民たちが出エジプトの経験を保持できなかったように、時には危うさを感じます。

◎そこで、聖書は信仰の民のリニュウアルを示されます。イスラエル人には出エジプトの経験に次いでバビロン捕囚という、厳しい体験を通してでした。その後、民たちが二度と偶像礼拝をしなくなったというのは、実に大きな驚きです。

◎神の子とされたキリスト者が、新しくされるということは、第一に「新しい契約・文字に仕える者でなく、御霊に仕えるようなる」Ⅱコリント3:6ことです。み言葉を何とか自分の本来の性質で「守って行こう、ああしよう~こうなりたい」。ユダヤ人は律法を守ることに懸命でした。その結果を聖書は徒労にすぎなかったことを教えています。信仰によって御霊が共にいて下さり、このお方がみ言葉を通して語って下さること信じて読み、与えられたみ言葉にゆだねることです。

◎第二にイエスさまと共に歩んでいることがよろこびとなって行くのです。過去の経験ではありません。現在がそうなのです。「心の霊において新しくされ」エペソ4:23とありますが、信仰のない人たちが、虚しさの中で歩むようなことがないようにとパウロは勧めるのです。

◎やがて新天新地で完全に新しくなることを、常に喜びとしたいものです。