日別アーカイブ: 2016年2月14日

めぐみのパンくず

主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。”         イザヤ書34章16節

◎イザヤが聖書をどのようにとらえていたかを見てみたいと思います。まず「どれも失われていない」と言います。『この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。』24:35一点一画までみ言葉は残るのです。次に「連れ合いを欠くものはない」と言います。新共同訳聖書を見ますと「雌も雄もそれぞれ対を見出さぬことはない」と切り離せないもの、また関連性があることを示しています。

◎それはどこから出ているのでしょう。「主の口」が命じたからだと言うのです。人の言葉は何とはかなく、良き言葉も一時的(この地上)でしょう。しかし、み言葉は神さまの命じられたゆえに、今も追行しているのです。

◎最後に「主の御霊がこれを集めた」と記されています。ルアッハ・エロヒーム「神さまの息吹」と訳される言葉です。息は生きているものの証しです。人類最初の人、アダムは土から造られました。そのアダムに神さまはご自分の「息・いのちの」を吹き込まれますと永遠に生きる存在となりました。(しかし、罪を犯して永遠には生きられなくなりました。)ぞの、息をもってひとまとめになさったみ言葉ですから永遠に存在し続けるのです。

◎終わりに、み言葉は、調べつつ読む者であることを覚えたいと思います。