めぐみのパンくず

あなたがたは、喜びながら 救いの泉から

水を汲む“ イザヤ書12:3

◎ヨハネの福音書4章で、サマリヤの女がヤコブの井戸の傍らでイエス様の救いにあずかった話はよく知られたところです。渇ききった魂にイエス様は「永遠のいのちのよろこび」としてご自分を泉にたとえられました。

◎それより700年前、預言者イザヤは救いの喜びを伝えています。(いうまでもなくイエス様の予表です)。12章からいくつか見てみましょう。

◎「怒りが去り、慰めが来た」と感謝の喜びです。Vs1使徒パロはエペソ人への手紙2章で人はみな「生まれながらの(神の)怒りの子であった」と言います。2章は救いに与る前のキリスト者の姿が記されています。そこから救われたのです。他に救いはありません。

◎「救いとなられた」Vs2と喜びの内容を語ります。恐れが去り信頼できるお方になった。私の力、私のほめ歌・・となりましたと。少し前の11:16ではエジプトからの救出が記されていますが、奴隷状態の(縛られていたもの)からの解放の喜びなのです。

◎第二の感謝Vs4,5~伝道につながっていくことが記されています。感謝の心は人々に伝えたくなると思います。

◎賛美の潤いです。Vs6喜びはおのずから賛美につながるでしょう。以前、台湾のリバイバルは賛美からはじまったと聞きました。「あなたの中に」Vs6のあなたは単数形で、内なるキリストの証です。心からの賛美は内なるお方と共に父なる神をほめたたえるのです。

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