日別アーカイブ: 2015年8月23日

めぐみのパンくず

だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死にたる罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。”               Ⅰヨハネ5:16

◎キリスト者は祈る人です。自分のために必要なこと一切を祈りますが、祈りの真骨頂はとりなしの祈りでしょう。罪を犯している人々、言語では「罪を犯している現場を見たら」との意味がありますが、その時に祈りなさいとヨハネは勧めるのです。

◎しかし、罪にも二通りあるとヨハネは言います。「死に至らないもの」と「死に至るもの」とが。そして死に至る罪を犯している者のためには「願わなくても良い」と言うのです。

◎では「死に至る罪」とはどんな罪なのでしょうか。デンマークの哲学者でありキリスト者のキエルケゴールは「死に至る病とは絶望である」と言いましたが、聖書が言うところのものを見てみますと、聖霊を汚す罪があげられます。聖霊こそは救い主を示して下さるお方です。このお方を汚すような言葉、行為を示している人のために願うなと言うのです。また心が頑なになっている人には「癒されることがない。」箴言29:1とあります。時を置いた方が良いでしょう。そして、回復不可能な背教者のためにも願わなくても良いと言うのです。

◎しかし、これは強い意味での禁止ではありません。たとえ祈っても祈りが聞かれるかどうか疑問だと言うのです。ゆだねるべき課題でしょう。

◎神さまは豊かに赦したもうお方ですが、キリスト者は不正はすべて罪であることを覚えてきよく信仰生活を歩むべきだと思います。