日別アーカイブ: 2015年3月1日

めぐみパンくず

イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」           ヨハネ20:29

トマスは◎デドモと呼ばれていました。その意味は「双子」です。わが師は、「トマスによく似た人、双子のような人がいる」と言っておられましたが、トマスは「イエスさまの手の釘の痕を見ないと信じない、指を差し入れなければ信じない」と言ったのです。

◎その原因は、イエスさまが最初に弟子たちに現れなさった日曜日の夕、一緒にいなかったところにあります。

キリスト者は日曜礼拝を大切にします。その最も大切な事は復活の主を礼拝することです。教会は気の合うものが集まるアソジエイションではありません。礼拝の場にいなかったことが不信仰な言葉を語らせたのです。

◎しかし、その次の日曜日にはトマスも他の弟子たちと一緒にいました。前回のように戸は閉じられていましたがイエスさまが入って来られ、三度目の「平安があるように」と言われました。それからトマスが語った言葉を復誦された後、「信じない者にならないで信じる者になれ」と言われたのです、トマスの心にあった不信仰はいっぺんに消えて行ったと思います。

◎さて上に掲げたイエスさまのことば、後半の「見ずに信じる者は幸いです」をキリスト者は本当に喜ばしく大切にしたいと思います。なぜなら肉眼でイエスさまを弟子たちのように見たわけではないからです。イエスさまを肉眼で見た人たちは、時間、地域に限定された人だけでした。その後すぐに昇天されたイエスさま。このイエスさまの救いを、私たちは見ていないのですが、信じているのです。見ないで信じているのです。それはイエスさまのお言葉によれば「幸い」な事なのですから。感謝があふれて来るようですね。