めぐみのパンくず

“イエスはこれを聞いて言われた。「この病気は死で終わるだけるものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって、栄光を受けるためです。

ヨハネ11:4

◎しばしば、訪れられたべタニヤホームのラザロが病気になりました。その報告を受けられたイエスさまは「この病気は死に至らず」と言われました。しかし、14節を見ますとはラザロは「死んだのだのです。」と言われています。この一見矛盾に聞こえるお言葉を考えます。

◎イエスさまが「死んだのです。」と言われたのはラザロの肉体の死でした。幾年生ける者は皆、肉体の死を迎えねばなりません。しかし、聖書はもう一つの死を私たちに教えています。それは霊の死です。もう少し言いますと、死んで後、受ける「神さまの裁き」です。

◎イエス・キリストを数い主として信じた者には肉体の死が別の表現で語られます。「私の友ラザロは眠っています。」と11節でイエスさまは言われました。使徒パウロもテサロニケのキリスト者たちに「眠っている人たち」Ⅰテサロニケ4:13と言っています。夜に眠り、朝に目覚めるように、キリスト者は永遠の世界に目覚めるのです。

◎デンマークのキリスト者であり哲学者のキエルケゴールはその著書「死に至る病い」に於いて「死に至る病とは絶望であり、絶望とは自己の喪失であり、自己のみならず神との関係の喪失である」。と言っています。では「死に至らない病」とは「希望に繋がる事」だとも言っているのです。

◎キリスト者の希望「決して失望に終わることがない」

ロマ5:5ものです。希望はよみがえりの希望ですね。

◎イエスさまはこのよみがえりの希望を与えるために来られたのですが、その業を「昼の業」9節と言われました。昼とは活動の時であり、生きている時です。ラザロは生きている時に永遠に生きるための救いをイエスさまからいただいていたのです。

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