日別アーカイブ: 2014年2月2日

めぐみのパンくず

“まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。”ヨハネ8:58

8章においてイエスさまは三度「まことに、まことにあなたがたに告げます。」と語っておられます。34節では警告的に、そして、51節ではみことばを守るものへの結果と、58節には存在の永遠性を語られました。イエスさまはイエスさまに反抗する人たちとの対話においてさえ、真理を教えて下さるお方です・

信仰は見えないものを見えるようにしてくれます。その実例。信仰の父アブラハムが見ていたもの、それはやがて来てるべきメシヤ(救い主)の到来でした。時代的に言うとアブラハムとイエスさまが地上に来られた時間的な隔たりは2000年近いものです。そんなに以前にどうして見る事が出来たのか、創世記における彼の信仰過程をみますと、15章の契約の中で、22章のイサクをささげる出来事の中で、救い主の予表を見ることが出来ます。また、信仰による選び、不従順、悪への裁きなども踏まえて、やがて来たるべきお方が到来なさる事を信仰によってとらえたのです。

イエスさまのお言葉を見ますと、「アブラハムはわたしの日を見ることを思って大いに喜びました。~見て喜んだのです。」vs56と語っておられます。この喜びました、喜んだ」と言うことばは、復活なされたイエスさまが、ユダヤ人を恐れて部屋に閉じこもっていた弟子たちの所に入って来られ手と脇腹の傷を見せ「平安があるように」と言われた時、「弟子たち主を見て喜べり」ヨハネ20:20の「喜び」と同じ言葉が使われています。

復活の主に拝して喜んだ弟子たち、その喜びをはるか2000年前にアブラハムは自分のものにしていたのです。私たちキリスト者は、アブラハムと同じように弟子たちのように、みことばと聖霊の示しによってこの事実を確かなものとされているのです。