日別アーカイブ: 2013年12月8日

めぐみのパンくず

“わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからである。”ヨハネ7:29

○イエスさまはこの言葉を「大声で語られた。」と聖書は言います。叫ばれたのです。ユダヤ人たちはイエスさまがナザレの出身であることは知っていました。 しかし、父なる神さまから遣わされたことを理解していませんでした。そのユダヤ人に向かって叫ばれた。その叫びをしっかりとキリスト者は受け止めたいと思います。

○真の神さまを知らない人たちは、自分たちの出所をしりません。この世界は唯物論で満ちていますが、人間の始まりと終わりが何であるかによって、生き方が全く違ってきます。人類の始まりがアメーバ―か、人格ある神さまの似姿に造られた存在であるかでは、その歩みにおいて違ってくるでしょう。しかも何処へ行くのかという目的をもたない存在は、希望のない存在であり、時には自暴自棄な生き方で終わってしまいます。

○私たちキリスト者は知っています。イエスさまが神さまから遣わされたお方であり、また遣わされたお方の所へ帰って行かれるお方であることを。

イエスさまが来てくださった事によって、存在そのもの目的がはっきりしたのです。

○しかし、イエスさまが「父なる神さまを知っている」と言われる知り方と、私たちが今イエスさまによって知っている事には、少し段階の違いがあります。キリスト者は、みことばを聞き神さまの子どもとしての歩みがあることを知識でしります。そして、御霊の助けにより経験的に、信仰生活を送ります。しかし、イエスさまのように、父なる神さの所、出て来た所、帰るところを完全に知っているわけではありません。だからこそ、イエスさまと共に歩むのです。