めぐみのパンくず

“わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんな時にも、渇くことがありません。”           ヨハネ6:35

◎五つのパンと二匹の魚で群衆の腹を満たされたイエスさまを王にしようとして人々はカペナウムまで追いかけて来ました。いつの時代もまず腹(経済的安定)を満たしてくれる指導者を求める民衆の姿です。

◎しかし、イエスさまはもっと大切な目的のため「いのちのパン」として来られたのです。その命のパンを本当に得るための人々との問答が始まります。

◎第一のことは「何をするか」でなく「何を信じるかです」。「飢えることなく、渇くことがない」と言われるお方を信じるのです。それは内面から始まります。「衣食足りて清節を知る」世界ではありません。まず内側からの変化を与えて下さる方を求めるものです。

◎第二に聖書のみことばを読むことです。45節に「彼らはみな神によって教えれる」と預言者の書を引用されていますが、みことばは養いの糧です。いのちのパンもみことばです。53節には「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ~いのちはありません」とも言われていますが、イエスさまの十字架の救いへの感謝、その深み、神さまの子どもとしての霊的成長に至るために日ごとに食するものなのです。

◎イエスさまは「わたしはいのちのパンです。」35、48.「天から下って来たパンです」50,51と繰り返して言われました。人は食べなければ生きていくことができません。成長することもできません。信仰の世界も同じです。幼子からイエスさまの身の丈までに成長するのです。そのために霊的いのちに生き、成長させるものはイエスさまへ信仰とみ言葉を味わうことです。

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