主を知ること
箴言1章7~19節
「主を恐れることは知識の初め。
愚か者は知恵と訓戒を蔑む。(箴言1章7節)
知識、知恵、訓戒。
罪びとである私たちにとっては、あまり歓迎したくない言葉かもしれませんが、それらは、この人生をより良く生きていくために大切なものです。キュウリの「手」のようなものだ、とある人はいいました。キュウリを「手」なしに育てると、つるは地面を這うようにのびるしかありません。支柱を立て、ネットを張って「手」を作り、それに這うように育てると、よい実が結ばれます。つるを支柱やネットでできた「手」に絡ませるためには、最初はやや強制的に結びつけることになります。しかしそのうち自分からしっかりと絡んでいきます。それと同じように、知識や知恵、訓戒は、私たちが人生においてよい実を結ぶために神さまが与えてくださるものです。窮屈に思えたり、自分を曲げなければならないこともありますが、それによって良い実が結ばれるのです。
その知識の最初にあるもの、いわば土台は「主を恐れること」です。新共同訳や共同訳2018では「畏れる」という漢字が使われています。いたずらに恐怖するのではなく、うやまい大切にすること、愛することです。
どのような知識であっても、まず主をおそれることを土台としてその上に積み上げます。そうして積み上げられた知識は、自分を生かし家庭を生かし社会を生かします。21世紀に生きる私たちはさまざまな知識に溢れた社会の中にいます、真実に祝福の実を結ぶ知識であるためには、その土台に神さまへの「おそれ」が問われなければなりません。