主の大能
ルカの福音書7章11~15節
「イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた。
主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。
そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された。」(12~15)
やもめ(伴侶を失った女性)はおそらく一人息子に大きな期待をいだき慰めをいただいていたことでしょう。その存在が失われました。この先どのように生きて行けばよいのか。その葬儀に出会われた主は、深くあわれまれ、その息子を生き帰らせてくださいました。希望の光がふたたび輝きだしました。なんと麗しい光景でしょう。私たちの主はいのちの主です。
主は「泣かなくてもよい」と声をかけられました。泣くことはときに大切なことです。主もラザロが死んだとき涙を流されました。しかし絶望の涙で終わってしまうだけならば、希望はありません。私たち主にある者は、絶望の涙で終わる人生から希望に生きる者へと変えられました。
主は若者に語りかけられました。主のことばは死者にさえ届きます。そしていのちを与えることができるのです。
主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。」(エゼキエル書37・4)