8月22日聖日礼拝

動画(35分26秒)

聖書 創世記18章16節〜33節
説教 「とりなしの祈り」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

歴代誌第二16章9節

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。


今週の聖句

マタイの福音書5章13節

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。


今週の詩篇の黙想

詩篇33篇1節〜22節

  1. 詩篇33篇には表題がありません。1節の歌い始め「正しい者たち。【主】にあって、喜び歌え。」は前の32篇の最後の節を反復しています。ここから詩篇33篇は32篇の継続、発展の詩篇、罪赦された者の幸せな生活の喜びの賛美です。1~8節は詩篇33篇の起承転結の起にあたります。正しい者たちへの呼びかけで始まり、8節「全地よ」と全世界への呼びかけに発展しています。1~8節で命令形も沢山あります。喜び歌え、主に感謝せよ、ほめ歌を歌え、最後は、主を恐れよ、主の前におののけ、で起の部分は終わっています。

  2. 9~12節が起承転結の承にあたります。4節、6節の「主のことば」を受けて発展、展開しています。主のことば、主のおおせ、主のはかりごとが確かなもので、人間や国々のはかりごとはむなしくあてにならないものであります。承のまとめとして12節「幸いなことよ。【主】をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。」と主に信頼することの幸いを歌っています。

  3. 13~17節は起承転結の転にあたります。承でみことばの確かさを告白しました。転にあたるここではあてにならないものを告白しています。16~17節「王は軍勢の多いことによっては救われない。勇者は力の強いことによっては救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。」と軍事力のあてにならないことを宣言しています。軍事力や自分の力、能力に頼らないで、徹底的に主により頼む者を求めておられます。主は私たちの心の奥底まで読み取られるお方であります。徹底的に主により頼んでいるかを見通しておられます。

  4. 18~22節は結にあたります。20~21節「私たちのたましいは【主】を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。」主を喜び、聖なる御名に信頼している信仰の告白をしています。この週も主に信頼して歩みましょう。

8月15日聖日礼拝

動画(39分23秒)

聖書 創世記18章1節〜15節
説教 「主のみ使いの訪れ」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

歴代誌第二16章9節

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。


今週の聖句

ヘブル人への手紙13章1節〜2節

兄弟愛をいつも持っていなさい。旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。


今週の詩篇の黙想

詩篇32篇1節〜11節

  1. 1節、2節で「幸いなことよ」が繰り返されています。ダビデは主の前での幸いを喜んで賛美しています。ダビデは人前で恥をかいても、王としてのプライドを捨ててでも、主に罪を赦されたことを喜んでいます。人の前で取り繕って評判よく生きるのではなく、神様の前に真実に生きる道を選び取り、神様の前の幸いな人生を送りましょう。

  2. 3~4節を読みましょう。「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。」これはダビデが罪を犯した時の苦しみの告白です。兵士たちがアモンとの戦いに出ました。通常ならダビデは先頭で戦う人でしたが、この時は王宮にとどまり、祈りの戦いにも加わらないで、部下ウリヤの妻に対し姦淫の罪を犯し、事件隠ぺいのためにウリヤを謀殺しています。密室での罪でしたが、神様からのさばき、怒りがダビデに下っています。家に留まる時にも、いつも救いの兜をかぶって信仰の大楯を手にしていましょう。

  3. 5節を読みましょう。「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。私のそむきの罪を主に告白しよう。すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」罪を犯したダビデの魂は神様から重圧のように攻められています。さらにダビデに対し預言者ナタンが「あなたがその男です」と攻めた時、ダビデは悶々として砕かれ、罪を悔い改めました。私たちは罪人です。クリスチャンが罪を犯すと、神様との間に隔たりが出来てしまいます。罪が示されたらすぐに素直に主に告白し、主との交わりに留まりましょう。

  4. 9節を読みましょう。「あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。」みことばを通して、主の示し、導き、罪の告白、悔い改めを示されたなら、すぐに告白し、悔い改め、時間を無駄にしないで主に仕える者の道を歩みましょう。

8月8日聖日礼拝

動画(23分02秒)

聖書 創世記17章1節〜14節
説教 「永遠の愛の契約」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

歴代誌第二16章9節

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。


今週の聖句

エレミヤ書29章11節

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げ--それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。


今週の詩篇の黙想

詩篇31篇1節〜24節

  1. 詩篇31篇は「主よ。私はあなたに身を避けています。」とは決まっています。30篇は死の床の病気の苦しみの中からの詩篇、31篇はサウル王やペリシテなどの敵から追われる苦しみの中での祈りの詩篇です。1~4節では「私を助け出してください」「私を救い出してください」「私を引き出してください」と祈っています。5~8節ではそれに対する答えです。「私を贖いだしてくださいます」「主に信頼しています」「あなたの恵みを私は楽しみ、喜びます」と信仰の応答をしています。

  2. 9~13節は再び苦悩、悩みの告白が繰り返されています。「私をあわれんでください。主よ」と叫んでいます。苦しみの内容も具体的に告白しています。サウルの手下やペリシテなどの敵だけでなく、隣人、親友、かつての仲間までもが敵対者となり、自分は壊れた器、忘れられた存在、死人のように見捨てられ無視される中で、14~17節は信仰の告白、賛美に展開していきます。主よ。私はあなたに信頼します。あなたこそ私の神です、と信仰告白を大胆にしています。

  3. 19~24節では勝利の賛美が歌われています。詩篇は歌です。リズムがあります。苦しも→祈り。痛み→賛美。さらにこれらをまとめるように19~24節の所で大きな賛美のうねりとなっています。「あなたのいつくしみはなんと大きいことでしょう」と勝利の告白が歌われます。主は私たちを匿ってくださいます。隠れ場に隠して守ってくださいます。隠すだけでなく、奇しい恵みを与えてくださいます。

  4. 最後の23~24節はすべての主の聖徒たちに、主を愛しまつれ、雄々しくあれと励ましています。5節で私の霊を御手に委ねます、と祈っています。苦難、試練、問題の中で私たちはあれこれ考えます。考えて人を責め、自分も責めます。そんな私たちに、主の御手に霊をゆだねる、心を、判断をお委ねして、全能の主をその時その時信じて行くことを教えています。主に委ねて歩みましょう。

8月1日聖日礼拝

動画(41分09秒):聖餐式2分21秒〜、説教10分23秒〜

聖書 創世記16章1節〜16節
説教 「あなたはどこへ行くのか」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

歴代誌第二16章9節

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。


今週の聖句

ガラテヤ人への手紙4章27節

「喜べ。子を産まない不妊の女よ。声をあげて呼ばわれ。産みの苦しみを知らない女よ。夫に捨てられた女の産む子どもは、夫のある女の産む子どもよりも多い。」


今週の詩篇の黙想

詩篇30篇1節〜12節

  1. 詩篇30篇は表題には「家をささげる歌」と書かれています。この詩篇を読むと詩篇記者は病、しかも死ぬかもしれない重病の中でこの詩篇を歌っています。「私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。」この2~3節を読むと「よみ」とか「穴」という言葉が使われていますから死ぬ病の床からの回復の感謝の詩篇です。

  2. 6節には「私が栄えたときに、私はこう言った。私は決してゆるがされない。」この詩篇の記者が栄えている時、決して揺るがされることはないと高ぶっていました。あとで気づいたことですが栄えているのは「主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。」と7節に書かれています。栄えていたのは自分の力ではなく主の恩寵、恵みによって私の山、私の生活、人生を強くしてくださっていましたが、主が御顔を隠される、恵みが届かなくなるとおじ惑い、死の床に陥ってしまいました。

  3. 詩篇の記者はこの死の床から「私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。」と告白しています。高ぶりを悔い改めた詩篇記者は5節「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」と賛美をしています。11節では「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。」

  4. 家をささげる歌が表題です。家とは建物ではなく、家庭、家族の交わり、自分の生活、人生そのものが家であります。主の恩寵が支えてくださる信仰にたって、病める時も、豊かな時も、生活のすべてを主におささげしていきましょう。