2024年1月28日聖日礼拝

聖書 ピリピ人への手紙2章5節〜11節
説教 「この世界に来られたイエスを信ず」
説教者 高橋博師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

ヘブル人への手紙4章14節〜15節

さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。


創世記からの黙想 創世記4章

創世記4章からの黙想。「神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。」(3章23~24節)神様に背き罪を犯したアダム、エバはエデンの園から追放されました。エデンの東にケルビムを置かれました。ケルビムは主の臨在の象徴です。主なる神様はアダム・エバを追放され、主御自身もアダム・エバと共に罪に堕落した世界に来てくださいました。アダム・エバはエデンの園を追放され、罪の世界での歩みが記されています。アダム・エバの家庭に二人の息子が与えられました。カインとアベルです。カインは大地を耕す者となり、大地の実りを主への献げものとして持ってきました。羊飼いのアベルは自分の羊の初子の中から肥えたもの(最上のもの)を持ってきました。神様はアベルとその献げものに目を留められ、カインとカインの献げものには目を留められませんでした。二人の献げる態度が違っています。アベルは羊の初子の中から最上のものを献げました。カインは礼拝・感謝という気持ちより義務的な感じで献げたと思われます。アダム・エバが罪を犯して裸であると気づいた時に、神様は皮の衣をお与えになりました。アダム・エバは少年時代のカイン、アベルに羊を屠って、皮の衣せ、皮の衣の意味を語っていたと推察されます。小羊が身代わりに死んで、その皮の衣を着るように、いつかの時、贖い主が来て血を流して救って下さる神様の計画をカインとアベルは聞いていました。皮の衣を着ているカインとアベルは献げものは小羊とわかっていながら、カインは都合上便利な地の作物を献げました。カインは献げものが受け入れられなかったので、怒り、不機嫌になり憤っています。アベルを嫉んで野に誘い出してそこでアベルを殺害しています。罪の支払う報酬は死である、とローマ6章23節に書かれています。アダム・エバは罪の報酬を兄弟殺人というかたちで受けて行かなければならない悲劇であります。罪の報酬は死であっても、神様は信じる者に賜物、プレゼントとして永遠のいのちを与えて下さいます。アーメン。

2024年1月21日聖日礼拝

動画(50分38秒)

聖書 使徒の働き16章11節〜15節
説教 「我らの主、イエスキリスト」
説教者 高橋博師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

使徒の働き16章31節

主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。


創世記からの黙想 創世記3章

創世記3章からの黙想です。「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」(1章31節)2章では、アダムに神様との交わりの喜び、地を治める労働の喜び、結婚、家庭生活の喜び、3つの喜びをお与えになりました。創世記3章は、罪が人類に入ってきたため、この3つの喜びが破壊され、神様がわからなくなりました。労働が苦役となり、結婚、家庭生活が愛と喜び赦しではなく、力や利益や快楽の手段に堕落してしまいました。人間が罪に堕落した直後から神様は救いの計画を立てておられます。「彼は、お前の頭を踏み砕き、お前は、彼のかかとにかみつく」(15節)女の子孫であるイエス様は十字架でかかとに釘を打ちこまれながらも、サタンの頭を踏み砕いてくださいました。サタンは頭を踏み砕かれましたが、イエス様の再臨の時まで、断末魔の働きをして、ひとりでも多く堕落させようと必死にうごめいています。21節では、神様はイチジクの葉っぱの衣の代わりに皮の衣をアダム、エバに与えてくださいました。走っても、労働をしても壊れない皮の衣が与えられました。皮の衣を作るためには、動物が殺され血を流さなければできません。人間の罪を覆うために、贖うために、やがて来てくださる救い主イエス様の十字架の救いが預言、約束されています。キリストを信じることはキリストを着ることであります。「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」(ガラテヤ3章27節)イエス様を信じ、罪から救われた私たちには、神様との交わりの喜び、労働の喜び、結婚、家庭生活の喜びが回復しました。神様との交わり、礼拝を土台として社会生活、家庭生活に与えてくださる主の恵みを享受しつつ歩みましょう。シャローム。

2024年1月14日聖日礼拝

動画(34分09秒)

聖書 使徒の働き9章1節〜9節
説教 「キリストにあって、新しい初め」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


創世記からの黙想 創世記2章

創世記2章からの黙想です。1~2節では、神様は天地万物の創造のみわざを終えられて休まれ、安息日をお定めになりました。人は6日働いて、7日目の安息日には礼拝をする、労働と礼拝の定めであります。「神である主は人をとり、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(15節)礼拝で霊的な力をいただいて、遣わされた所で、耕して実を結ぶ生活、リズムを楽しみましょう。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(7節)人は土から造られた肉体的な面と、いのちの息を吹き込まれて生きるものとなった霊的な面を持っています。衣食住という生活の基本は大切ですが、いのちの息を吹き込まれて生きている私たちは、肉体の満足だけで満たされない存在です。主を礼拝する、主と交わる、主に生かされることを持って始めて全存在的な喜び、満足を持って生きることが出来ます。「神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。」(9節)神様はアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(16~17節)と命じられました。神の被造物である事、神から愛されていることの応答として善悪の木の実は食べないと言う契約関係で生きる道をアダムに示されました。「また、神である主は言われた。人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」(18節)神様はアダムにふさわしいパートナー、助け手をお与えになりました。「神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。」(21~22節)アダムに必要不可欠なパートナー、助け手を主はお与えになりました。アダムの妻エバは助け手と呼ばれています。あれば便利という意味での助け手ではありません。右の靴に対して左の靴、左右そろって靴の役割が果たせる様な意味での助け手。必須不可欠な存在がパートナーです。「そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」(25節)二人の間には秘密がありません。何を話ししても、何をしても否定されることがない全き交わりの中を二人は生活していました。人類堕落前の、本来の人の生きる姿、人の原点が描かれています。

2024年1月7日聖日礼拝

動画(39分33秒)

聖書 ヨハネの福音書1章9節〜18節
説教 「父のふところにおられる ひとり子の神」
説教者 高橋博師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

ヨハネの福音書1章18節

いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。


創世記からの黙想 創世記1章

創世記1章からの黙想。この一年52回の日曜日の礼拝の週報で創世記全体を黙想していきたいと思います。創世記1章には天地の創造物語が書かれています。神様は知恵によって、光と闇、大空と大海、陸と植物、太陽と月星、水中生物と空中生物、陸上に住む動物を創造され最後に神様の形に人間を創造されました。創世記1章で、私たちは大切な基本的な3つの事を知ることができます。①神様について。②自然について。③人間についての3つです。この3つを知ることは生きるために大切なことです。創世記1章には唯一の神様がおられること、自然のすべては神様によって創造された被造物であること、人間は最後に、創造の冠として造られています。26節では、人間は神様の形に、神様に似せて創造されています。神様が人格をお持ちのように、人間も本能によって生きている他の動物とは異なって、知・情・意という人格を持つ存在であります。28節では、神様は彼らを祝福し、彼らに仰せられた、と書かれ、神様の交わりの対象として人間が創造されています。神様に似せて神様のかたちに創られ、交わりの対象として造られた私たちは、知恵をもって、目的を持って生きます。6日間という時間の秩序を立てながら天地を創造された神様の前に生きることは、私たちも、時間を知恵と計画をもって生きていくことであります。新年の第一週に創世記1章を黙想することは幸いです。今年一年、毎日毎日、時間、日という時を神様からいただいている事を確信して計画的に賢く生きていくお祈りをささげましょう。神様は人類を男と女とに創造されました。動物にも雌雄はありますがこのようには言われていません。人間に対してのみ、男と女とに創造されたと書かれています。地上の男と女が人格的に愛し合い、助けあって、家庭が築かれて子孫が増えていくことを神様は定めておられます。夫婦が愛し合って、子どもが増えるだけでなく、しあわせが増えていくように、家庭が愛で満ちていくことが主の願いです。神様は「生めよ。ふえよ。地を満たせ、地を従えよ、支配せよ」と仰せられました。私たちの周りの自然を賢く管理することであります。私たちは多くの物、物質を所有して生活しています。神様が管理を託されたものです。神様からいただく知恵と計画に従って与えられた資源をよく管理して、神様に栄光を現す人生、この一年を送って行きたいと願っています。平安。