2024年7月14日聖日礼拝

動画(30分16秒)

聖書 ヨハネの福音書3章22〜30節
説教 「主役はイエス・キリスト」
説教者 ナタナエル・ガウブ師


今月の聖句

マルコの福音書10章44節〜45節

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。


今週の聖句

ヨハネの福音書3章30節

あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。


創世記からの黙想 創世記28章

イサク、リベカ、エサウ、ヤコブが登場し、彼らの信仰、生き様が見られます。リベカは目の見えない夫イサクをだまし、愛する息子ヤコブのために祝福を奪い取ります。ヤコブのためには何でもする、行動的であるがブレーキのない女性。エサウがヤコブを憎んで殺意を持っていることを知ると、その問題の解決をしないで、ラバンの娘の中から妻を得るようにと、ヤコブを遠くハランの地に送り出しています。夫イサクは妻リベカの言いなりになっています。リベカとヤコブが共謀して、イサクとエサウをだまして祝福を奪い取ったことや、それに対してエサウが根に持っていることに対しても、何の指導もありません。この家庭には最も大切な霊的な会話が欠如しています。神様のみこころを求め、分かち合い、自分の自我や願望に生きるのではなく、神様の御声を聞いて従い、不信仰を反省、悔い改めが大切です。おいしい料理、ラバンの娘の中から美しい妻をめとりなさい、といううわべのことをイサクは話題にしています。イサクはエサウにも、お前は長男だが、兄は弟に仕える、という神様の御声があったことや、お前自らも一杯のレンズ豆で長子の権利を売ってしまったではないか。だから神様はこのようになさった、と神様のなさることを受容する会話は残念ながら欠落しています。10節からヤコブの一人旅が始まっています。過保護の母リベカと分かれて一人で知らない道を旅して、叔父ラバンのところに向かっています。ベテルに来た時、日が沈んだので野宿をすることにしました。兄エサウが怒って殺しに来る恐れを持ちながら不安な一夜を過ごしています。今までリベカの保護の中にいたヤコブは今晩一人で神様と交わる初めての経験をしています。神様の御使いがはしごを上り下りしている情景を夢で見ました。かたわらに立っている主を見ました。「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」と神様はヤコブに語られました。「まことに主がこのところにおられるのに、私はそれを知らなかった」「こここそ神の家に他ならない。ここは天の門だ。」(16節)ヤコブは初めて神様と交わって、神様の御声を聞いています。18節で信仰の応答として、礼拝をささげています。「すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます」(20節)奪う信仰、受ける信仰からささげる信仰、応答する信仰へ成長しています。家族や友人の意見を聞きながらも、神様との個人的な交わり、個人的な祈り、語って下さる主を大切にしましょう。シャローム。

2024年7月7日聖日礼拝

動画(42分01秒)

聖書 使徒の働き20章19〜32節
説教 「神の教会」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

マルコの福音書10章44節〜45節

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。


今週の聖句

使徒の働き20章32節

今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。


創世記からの黙想 創世記27章

イサクは年をとり、視力が衰えた時、長男エサウに、私が死ぬ前に、私自身がおまえを祝福できるためにおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれと語っています。それを聞いたイサクの妻リベカは、エサウの弟ヤコブに、父イサクのところにエサウに変装して行き、祝福を受けるように命じています。エサウが猟に行っている間に、リベカは子ヤギを料理し、エサウの晴れ着をヤコブに着させ、子ヤギの毛皮をイサクの身に着け、目の見えないイサクをだまして、祝福の祈りをだまし取りました。エサウが猟から帰って料理を作ってイサクのところに来た時には、祝福はヤコブに与えた後で、もう祝福は残っていませんでした。「エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。それでエサウは心の中で言った。父の喪の日も近づいている。その時、弟ヤコブを殺してやろう。」(41節)カインがアベルを殺した事件の再来を防ぐため、リベカはヤコブを遠くハランの地の兄ラバンのところに送っています。イサクは肉眼の視力だけでなく、霊的な視力、信仰の洞察力も衰えていました。エサウとヤコブが双子として生まれた時、兄が弟に仕える(25章23節)という主のことばをリベカは受けています。主がリベカに語られた約束を夫イサクは聞いているはずです。妻に語られた神様のことばをイサクは信じて受け入れなければなりません。エサウは空腹の時、長子の権利を売って一杯のレンズ豆の煮ものを食べて、長子の権利を軽蔑しています。(25章34節)「エサウは40歳になってヘテ人ベエリの娘エフディテとヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとった。彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となった。」(26章34節)長子の権利を軽蔑したエサウは信仰を軽視しています。神様のことばとエサウの行いから長子の祝福の祈りは弟ヤコブが受けるべきであったのに、エサウに与えようとしているイサクに霊的な視力も衰えていたことがうかがえます。リベカの行為はイサクをだますようではありましたが、神様の計画が実現するようにと必死で取った行動であります。ヤコブが神様の祝福を受け継ぐという神様の約束は綱渡りのようであっても、人間の罪や弱さがあっても、実現して行きます。問題ある人間を用いながらもご計画を力強く勧めておられる神様を仰いで歩みましょう。シャローム。