2025年2月23日聖日礼拝

今月の聖句

サムエル記第一17章37節

獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。


今週の聖句

ヨハネの福音書8章36節

ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ5章前編

ルカ福音書5章前半からの黙想。ヨハネ1章でペテロは弟アンデレに誘われてイエス様の弟子となりました。イエス様に従いカナの婚礼にも出席して水がぶどう酒に変わる最初の奇跡も体で体験しています。専業漁師のペテロが兼業漁師の様になってイエス様について行きました。ペテロの姑はそのようなペテロの生活に不安を感じてか熱病を患いました。そんなペテロの姑の不安を察知してイエス様はペテロの姑の熱病を癒され、ペテロの姑はイエス様にお仕えするようになりました。ガリラヤ湖畔に集う群衆にイエス様はペテロの舟から説教をされました。話が終わると、イエス様はシモン・ペテロに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。シモンは「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」と沖に出て網を下ろしました。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。」と言うペテロの言葉の背後にはどんな思いがあったでしょうか。ペテロは漁師のプロでありガリラヤ湖を知り尽くしている自信、自負心を持っていました。プロの私たちが徹夜で漁をしたのに魚一尾取れませんでした。イエス様は姑の病を癒してくださる先生でも、元はナザレの大工、漁の事は私たちの方が熟練しています。折角網を下ろせと言われたのだから魚がいないと証明してイエス様に納得していただくため、網を下ろそうとしました。すると「たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。」舟は沈みそうになりました。この時「シモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(8節)と叫んでいます。私は罪深い人間、イエス様のことばを信じなかった罪、漁師としてのプライド、過信、おごりの罪意識に心が責められて、私は罪深い人間ですと叫んでいます。イエス様はシモン・ペテロに優しく言われました。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨てて、イエスに従った。」(10~11節)ここの「すべてを捨てて」と言う言葉には、舟や網という物、漁師という生業を捨てるだけでなく、今までの誇り、自信、常識、価値観、人生観、自己認識、イエス観を捨て、新たな自己像、イエス様の姿を信じて信仰の旅に出発しました。

2025年2月16日聖日礼拝

動画(44分31秒)

聖書 ルカの福音書8章4節〜15節
説教 「実を結ぶ人生」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

サムエル記第一17章37節

獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。


今週の聖句

ヨハネの福音書12章24節

まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。


ルカの福音書からの黙想 ルカ4章後編

バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時、イエス様の上に聖霊が注がれ、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と天からの声が響き渡りました。メシヤとしての公の生涯に入られたイエス様は荒野での悪魔の誘惑に勝利をされ、故郷のナザレの会堂でイザヤ書61章から説教をされ、御自身油注がれたメシヤである事を宣言されました。ある人々はイエス様がメシヤである事を喜び神様をほめたたえました。一方他の人々は大工のヨセフの子として育ったイエス様につまずきました。イエス様はガリラヤに行き「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と宣教を開始されました。カペナウムの会堂で教えておられる時、汚れた悪霊につかれた人が自制できずに大声で叫んだ時、イエス様は「黙れ。この人から出て行け」と言われ悪霊を追い出されました。イエス様は立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエス様にお願いした。イエス様がその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。」カペナウムに漁師シモン・ペテロの家があり、ペテロは結婚して奥様のお母様、姑と同居していた様です。その姑がひどい熱で苦しんでいました。イエス様はペテロの家に入って姑の熱病を癒やされました。ペテロはいままでは漁師として働いていました。結婚をして幸せでした。でもある日、網や船、親や家を棄ててイエス様の弟子となりました。ペテロの姑はこの変化に大変驚いたと思われます。ペテロの所に嫁いだ娘の人生はどうなるのだろうか。この心配がひどい熱病の引き金になったかも知れません。この心配をしてひどい病になった姑の癒しのため、イエス様はペテロの家に行き、姑の枕元に立って熱を叱りつけて癒やされました。癒やされた姑はイエス様やその弟子たちをもてなし、イエス様に仕えるようになりました。イエス様は愛に溢れた方です。娘の夫、ペテロが献身して、漁師をやめてイエス様の伝道のお手伝いに行った時、心配と不安で熱病になってしまった姑のためにも癒しをされ、心の不安を取り除かれて、姑は病の癒しだけでなく、イエス様をメシヤと信じ、イエス様の使える女性に変えられて行きました。主イエス様のきめ細やかな心配りに感謝しましょう。