2024年1月14日聖日礼拝

動画(34分09秒)

聖書 使徒の働き9章1節〜9節
説教 「キリストにあって、新しい初め」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


創世記からの黙想 創世記2章

創世記2章からの黙想です。1~2節では、神様は天地万物の創造のみわざを終えられて休まれ、安息日をお定めになりました。人は6日働いて、7日目の安息日には礼拝をする、労働と礼拝の定めであります。「神である主は人をとり、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(15節)礼拝で霊的な力をいただいて、遣わされた所で、耕して実を結ぶ生活、リズムを楽しみましょう。「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(7節)人は土から造られた肉体的な面と、いのちの息を吹き込まれて生きるものとなった霊的な面を持っています。衣食住という生活の基本は大切ですが、いのちの息を吹き込まれて生きている私たちは、肉体の満足だけで満たされない存在です。主を礼拝する、主と交わる、主に生かされることを持って始めて全存在的な喜び、満足を持って生きることが出来ます。「神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。」(9節)神様はアダムに「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(16~17節)と命じられました。神の被造物である事、神から愛されていることの応答として善悪の木の実は食べないと言う契約関係で生きる道をアダムに示されました。「また、神である主は言われた。人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」(18節)神様はアダムにふさわしいパートナー、助け手をお与えになりました。「神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。」(21~22節)アダムに必要不可欠なパートナー、助け手を主はお与えになりました。アダムの妻エバは助け手と呼ばれています。あれば便利という意味での助け手ではありません。右の靴に対して左の靴、左右そろって靴の役割が果たせる様な意味での助け手。必須不可欠な存在がパートナーです。「そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」(25節)二人の間には秘密がありません。何を話ししても、何をしても否定されることがない全き交わりの中を二人は生活していました。人類堕落前の、本来の人の生きる姿、人の原点が描かれています。

2024年1月7日聖日礼拝

動画(39分33秒)

聖書 ヨハネの福音書1章9節〜18節
説教 「父のふところにおられる ひとり子の神」
説教者 高橋博師


今月の聖句

マタイの福音書16章18節

わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。


今週の聖句

ヨハネの福音書1章18節

いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。


創世記からの黙想 創世記1章

創世記1章からの黙想。この一年52回の日曜日の礼拝の週報で創世記全体を黙想していきたいと思います。創世記1章には天地の創造物語が書かれています。神様は知恵によって、光と闇、大空と大海、陸と植物、太陽と月星、水中生物と空中生物、陸上に住む動物を創造され最後に神様の形に人間を創造されました。創世記1章で、私たちは大切な基本的な3つの事を知ることができます。①神様について。②自然について。③人間についての3つです。この3つを知ることは生きるために大切なことです。創世記1章には唯一の神様がおられること、自然のすべては神様によって創造された被造物であること、人間は最後に、創造の冠として造られています。26節では、人間は神様の形に、神様に似せて創造されています。神様が人格をお持ちのように、人間も本能によって生きている他の動物とは異なって、知・情・意という人格を持つ存在であります。28節では、神様は彼らを祝福し、彼らに仰せられた、と書かれ、神様の交わりの対象として人間が創造されています。神様に似せて神様のかたちに創られ、交わりの対象として造られた私たちは、知恵をもって、目的を持って生きます。6日間という時間の秩序を立てながら天地を創造された神様の前に生きることは、私たちも、時間を知恵と計画をもって生きていくことであります。新年の第一週に創世記1章を黙想することは幸いです。今年一年、毎日毎日、時間、日という時を神様からいただいている事を確信して計画的に賢く生きていくお祈りをささげましょう。神様は人類を男と女とに創造されました。動物にも雌雄はありますがこのようには言われていません。人間に対してのみ、男と女とに創造されたと書かれています。地上の男と女が人格的に愛し合い、助けあって、家庭が築かれて子孫が増えていくことを神様は定めておられます。夫婦が愛し合って、子どもが増えるだけでなく、しあわせが増えていくように、家庭が愛で満ちていくことが主の願いです。神様は「生めよ。ふえよ。地を満たせ、地を従えよ、支配せよ」と仰せられました。私たちの周りの自然を賢く管理することであります。私たちは多くの物、物質を所有して生活しています。神様が管理を託されたものです。神様からいただく知恵と計画に従って与えられた資源をよく管理して、神様に栄光を現す人生、この一年を送って行きたいと願っています。平安。

2023年12月31日聖日礼拝

動画(25分41秒)

聖書 ピリピ人への手紙3章12節〜16節
説教 「後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ルカの福音書2章11節

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。


今週の聖句

ピリピ人への手紙3章13節〜14節

兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。


年末の黙想

マラキ4章1節 見よ、その日が来る。

3年間、150回の日曜日の礼拝の週報に詩篇を1篇から150篇にわたって黙想してきました。黙想シリーズの最終を12月にはアドベントの黙想、アドベントの終わった大晦日の礼拝の週報に、旧約聖書最後のマラキ書の4章1節「見よ、その日が来る。」に注目します。このみことばを中心にマラキ書を黙想していきたいと思います。その日の到来の前に主は「預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。」(5~6節)主イエス様の到来の道備えをする人物はバプテスマのヨハネです。ここで語られている預言者エリヤはバプテスマのヨハネであります。マラキはBC400年頃に活躍した預言者です。マラキは救い主イエス様の到来と、その道備えをするバプテスマのヨハネの到来を400年も前に預言しています。マラキの後は預言者は立てられず暗黒、沈黙の400年が続きます。この400年は信仰の停滞の時代です。400年の沈黙の時代も主は御計画を進めておられました。その日の到来の備えをするため、主は天使ガブリエルを祭司ザカリヤのところに送り、妻エリサベツは身ごもってメシヤの道備えをする人物を産む、と語られました。長く沈滞した時代に生きていたザカリヤは神様のことばが信じられませんでした。しかしザカリヤの不信仰にもかかわらず、神様はヨハネを、そして救い主イエス様をこの世に送って下さいました。


年末のこの日、主が備えられる「その日」を心に留めたいと思います。長い沈滞の時代があってもそれは民の信仰の沈滞で、主御自身の沈滞ではありません。私たち個々人に神様は時を備えて、御計画を持っておられます。その御計画が実現する「その日」を期待して待ち望む信仰に生きて行きたいと思います。ユダヤの指導者はこの長い沈滞の時に、信仰が怠惰になって行きました。1章では主への献げものがおざなりになっている事を警告しています。変化のない時であっても、礼拝をささげる、奉仕、賜物、献金などがマンネリ、形式的、義務的にならずに、信仰を持ってこころから献げて行きたいと願います。「神に仕えることは無駄だ」と言う不信仰なつぶやきが聞こえて来ても、主を恐れて歩むものを主は宝としてくださることを覚えて、新しい年も主と共に歩みましょう。

2023年12月24日クリスマス礼拝

動画(25分19秒)

聖書 ヨハネの福音書1章1節〜14節
説教 「闇に輝く光」
説教者 高橋博師


今月の聖句

ルカの福音書2章11節

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。


今週の聖句

ヨハネの福音書1章14節

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。