主日礼拝説教:2026年10月18日(日)
聖書箇所:出エジプト記25章31~40節
説教題:純金の燭台
暗唱聖句
また、ともしび皿を七つ作る。ともしび皿は、その前方を照らすように上にあげる。
出エジプト記25章37節
説教音声
説教要旨
前方を照らすように
神さまは幕屋と幕屋の中で使う備品の作り方をモーセに説明されました。備品の一つ目は十戒の書き記された二枚の石の板を納める「あかしの箱」、二つ目は「臨在のパン」と「注ぎのささげ物」を置く机、そして、三つ目が「純金の燭台」です。燭台は明かりを灯すための道具です。
神さまが作るように命じられたのは純金の燭台です。約34キログラムもの純金を槌で打って作るのです。純金の燭台には支柱から六本の枝が伸び、全部で七つのともしび皿が置かれます。
純金の燭台がある聖所は幕で覆われています。幕屋の聖所です。そこには外からの光が入ってきません。聖所の中は真っ暗闇です。そして、その暗闇に包まれた聖所の中に、純金の燭台は置かれたのです。聖所の中は純金の燭台によってのみ照らされるのです。
さて、光を灯す燭台のともしび皿については、「前方を照らすように上にあげる」と書かれています。普通に考えれば、燭台の光は周り全体を照らすはずです。しかし、聖書は「前方を照らすように」と語るのです。
燭台の前方には机がありました。「臨在のパン」と「注ぎのささげ物」を置くための机です。
「臨在のパン」と「注ぎのささげ物」は主イエスさまのからだと血潮を指し示しています。燭台の光はそのイエスさまのからだと血潮、イエスさまによる救いのみわざを照らし出すのです。「臨在のパン」と「注ぎのささげ物」を照らし出す燭台の光は、この世のどのような光とも異なる、特別な光です。
純金の燭台の光もまた、イエスさまを指し示します。イエスさまは世の光です。暗闇の中に輝くまことの光です。そして、「臨在のパン」と「注ぎのささげ物」、イエスさまの十字架の死と復活のみわざは、イエスさまご自身の光によって照らされるのです。イエスさまご自身が私たちの心に光を当ててくださってこそ、私たちはイエスさまによって成し遂げられた救いのみわざを見つめることができるのです。
この世にはたくさんの光があります。しかし、私たちに本当に必要なのはいのちへと導く光です。夜の時間を過ごすための光ではありません。もちろん、車のライトや部屋の明かりも大切です。しかし、本当に必要なのはいのちへと導く光です。永遠のいのちへと導く光こそが、私たちには必要なのです。そして、その私たちのために、イエスさまは来てくださいました。イエスさまだけが、ご自身の成し遂げられた救いのみわざを明るく照らし出すことのできる光なのです。
一つの純金を打って作る
ご自分のことを「世の光」と呼ばれたイエスさまは、弟子たちに対しても言われました。「あなたがたは世の光」です。イエスさまの弟子たちから始まった現在の教会もまた、世の光なのです。
教会は世の光などと言われると、それは、何か立派な行いをして、世の人々から認められて、暗い世の中で教会こそが希望だと言ってもらえることのように思うかもしれません。
世の光というのは、何よりもイエスさまです。イエスさまこそが世の光です。そして、教会が世の光であるというのは、そのイエスさまの光に照らされながら、イエスさまの光を輝かせることです。それは、私たちが何か立派な行いをして、世の人々から認められて、私たち自身の光を照り輝かせることではありません。イエスさまの光を放つことです。それは、何よりも、私たちがイエスさまご自身によって生かされることです。イエスさまによって生かされている恵みを喜ぶことです。
教会が世の光だとは言っても、所詮は罪人の集まりです。しかし、罪人の集まりであるにもかかわらず、教会が教会であるのはイエスさまを知っているからです。私たちは、罪人の私たちを救い出すために、ご自身のいのちまでも差し出してくださった、そのイエスさまの愛を知り、イエスさまに結ばれているのです。そして、そのイエスさまの愛を受け取り、イエスさまに生かされている恵みを喜んでいるなら、私たちは世の光となっているのです。自分自身には何もない、希望もない、しかし、イエスさまが愛していてくださる、そして、そのイエスさまを喜び、イエスさまとともに歩んでいるなら、私たちを通して、イエスさまの光が放たれているのです。大切なことはイエスさまの愛を受け取り続けていくことです。イエスさまに愛されて生かされている恵みを喜ぶことです。そして、イエスさまから離れないでくっついていることです。
祈り
暗闇の中に生きる私たちのために、イエスさまが世の光として来てくださったことを感謝します。イエスさまご自身の光に心を照らされながら、イエスさまによって成し遂げられた救いの恵みをいただき、豊かに味わうことができますように。新しい一週間も、イエスさまを喜んで生きる私たちを通して、イエスさまの光を照り輝かせてください。主イエス・キリストの御名よって祈ります。アーメン。

