詩篇95編の詩人は「今日 もし御声を聞くなら/ あなたがたの心を頑なにしてはならない」と言いました。同じ箇所が聖書協会共同訳では「あなたがたは今日、主の声を聞きなさい」と訳されています。「今日」という日が強調されています。御声を聞くのは「今日」なのです。
神さまの御声が道徳の教科書や人生をよりよく生きるための手引書のようなものなら、それを聞くのは「今日」でなくてもいいでしょう。教科書の内容が分かっているなら、自分の人生に問題を感じないなら、聞く必要すらないのかも知れません。
神さまの御声というのは、道徳の教科書でも、人生をよりよく生きるための手引書でもありません。生きて働いておられる神さまからの語りかけです。私たちを愛していてくださり、私たちとの交わりを願っていてくださる神さまからの語りかけです。だからこそ、神さまの御声を聞くのは「今日」でなければならないのです。明日に先延ばしするものでも、昨日聞いたからと言えるようなものでもないのです。
私たちにとって、「今日」は、必ずしも特別な一日ではないかも知れません。しかし、神さまにとって、私たちの「今日」は特別な一日なのだと思います。私たちと出会う「今日」は「今日」しかないのです。神さまが私たちに語りかけていてくださる「今日」は、かけがえのない「今日」なのです。
聖書を通して語りかけていてくださる神さまの御声を、今日、聞きたいと思います。
ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。(ルカの福音書19章5節)